サソリ島 浮島。 『08.ペリカンのお出迎え in ミコノス島』ミコノス島(ギリシャ)の旅行記・ブログ by WT信さん【フォートラベル】

硫黄島 (東京都)

サソリ島 浮島

まえがき このページはおそらく、電子上で「幻島国同盟 The Confederate Island Countries of Phantom 」について日本語で書かれた初めてのものである。 なぜかという問いに答えるならば、単にコンピュータ、執筆意欲、そして余暇・あるいは博識な知己の三つを全て持ち合わせたものがこれまで同盟内の日本語話者にはいなかった、というだけの理由にすぎない。 各島ごとの歴史や文化・風俗について掘り下げた文献については、もはや枚挙に暇がない。 しかしその中に、公式に日本語に訳されて出版されたものは絶無である。 ガンヂス島庁が発行している公式案内を除けば、有志による幾つかの作品の私家訳版が自費出版の形でごく少数流通するのみであったのだ。 我々はこの憂うべき現状に対し、これを解消すべく長年に渡って粘り強く啓蒙活動を継続してきた。 その最も大きな成果がアンソン多島海における三言語話者教育の義務化であることはご理解していただけるかと思う。 その施行から十数年、減少の一方であったアンソン多島海内の日本語話者数は2005年において(わずか1. 続く06年、07年も微増の範囲ではあるが話者数は増加を続けており、トリリンガル・エヂュケイションがようやく実を結んだと断言できるのは実に喜ばしいことである。 そのような背景と来たる電子時代の到来を見据え、より多くの人々に日本語を利用してもらうための足がかりの一つとしてこのページは制作された。 外界移民受け入れの是非が大議会において問われている今、もしかすれば彼ら移民達がこれを読むこととなるかもしれない状況の中で、『幻島同盟の手引き』が世においてささやかながら一つの役割を果たしてくれることを願いつつ、筆者は幻島とその同盟のさいさきよい前途と共に、これを読んで未知なるものへ思いを馳せる全ての人々の、しあわせな精神の旅路を祈りたいと思う。 宗教 … 幻島同盟は条約で加盟島内における信仰の自由を認めており、人口の37%はキリスト教徒、イスラム教徒23%、自然崇拝19%。 その他様々な宗教が複雑に混淆しているため、厳密な数値化は難しい。 言語 … 同盟発足の際に公用語は英語と決定されたが、加盟島の大半では今でも既存言語(ユマ・コチミ語、古西ノルド語、バリ語など)が併用されており、総計すると同盟内には500種以上の言語が存在している。 日本語は南部諸島のアンソン多島海において、わずか7000人のみが用いている消滅危機言語である。 略史 年月 できごと 14世紀初頭~16世紀後半 トゥーレからの使節団が世界各地の幻島を訪れ、とを島主に献上。 各島は各々のを用いて、あるいは他の幻島に協力を要請して実存世界を離脱。 1700年 トゥーレ使節の再訪問。 3年後の会談が決定される。 1703年 タプロバナにて14島 々主が会談を行い、幻島同盟を結成。 1784年 グロークラントにて"VIC海賊(ビック・パイレーツ)"出現。 美術品約80点が強奪される。 1883年 実存ラカタ島の噴火津波が流入し、東部タプロバナ沿岸にて2300人超の犠牲者が発生。 1912年 コロッサル号の機能封印が解除され、島間定期便に就航。 1938年 "艦隊(アルマダ)"の活動が大規模化。 某島沖での戦闘を切欠に戦争状態へ突入。 1946年 同盟領域より"艦隊"が完全に撤退。 全島にて終戦宣言が報じられる。 2001年 サンディ島の修復工事が完了し、実存世界を完全に離脱。 また当項への掲載希望が寄せられたものの、諸般の事情により不可能となった島に関しては、一覧に名前だけを挙げるに留めた。 いずれも娯楽目的の旅行者が訪れるには適さない場所である、という点だけは強調しておく。 北部諸島 Northern Islands フリスランド Frisland : フリシュラント Frischlant 、フリスランディア Frislandia 、あるいはフィクスランド Fixland とも。 総面積は実存アイルランドのおよそ2倍、130,650平方キロメートル。 北部諸島における最大の島であり、幻島同盟の実質的な盟主でもある。 その首都フリスラント Frislant は同盟領内における単一都市としては最大の人口を誇り、北西のボンデンドン Bondendon 、西のサネストル Sanestol と二つの不凍港を持つことから、古来より海運で栄えてきた島である。 これはフリスランドに限ったことではないが、高緯度地域に存在するため気候は極めて寒冷。 初めて訪問する際は服装や持ち物をよく確認されたし。 グロークラント Groclant : 実存グリーンランドの西部沖に存在する不整ハート状幻島。 原加盟島の一つであるが、住人の閉鎖的な気風もあって旅行者を惹きつける特色や面白みがある場所ではない。 島の大半は針葉樹林に覆われ、内陸は林業を、沿岸は漁業を生業とする者が多い。 閉鎖的、と書いたがその一方でグロークラントの人々はとかく芸術を好み、画家や彫刻家、建築家などを数多く輩出している。 『芸術は冬に花開く』ということわざがあるが、この島は特にその色が濃いように思える。 サンニコフ島 Sannikov Land : フリスランド、グロークラントと共に北部諸島を構成する主要島である。 かつては交錯する幾つもの海流に乗って緩やかにシベリア沿岸を彷徨う複数の浮島であったが、同盟への加盟後に原加盟島が持つ複数のを作用させることで浮島は一つの大島塊となり、さらに人の手でその動きを制御できるようになった。 爆撃跡に建つ監視哨 西暦1930年代における"艦隊"との大規模な武力衝突の中でサンニコフはによって急激に要塞化され、最終的には島の総面積のうち約7割が軍事目的での利用を想定する施設に転換された。 戦後それらの設備を流用する形で同盟軍の新総司令部が本島内に整備され、来たる戦いに備えて戦力の拡充が推し進められている。 上述したように島の大半が軍用地ではあるが一般公開区画も存在しており、戦勝館や旧沿岸砲台跡で60年前の戦争についての実物を含む様々な資料を見ることができる。 ちなみに本島の銀行窓口では通常の両替のほか、同額分の軍票に替えてもらうことも可能。 みやげ物としてはいささか変り種だが、筆者の周囲では存外喜ぶものが多かった。 ペーターマン島 Petermann Island : 今でこそ極北島嶼に属するが当初はどの島も存在を関知しておらず、幻島同盟発足後の調査によって新たに『発見』された島である。 ナンセン諸島の北に存在していたものがトゥーレによって実存世界から分離され、我々の離脱以前に移転されたものと推測されている。 トゥーレ文明の痕跡が数多く残ることから特別保護区に指定されており、雪解けを迎えると島は学術調査隊と観光客で賑わう。 西暦1937年に改名され、今はアブツーレ島 Abthule Island となっている。 ニュー・サウス・グリーンランド New South Greenland : モレルズ・ランド Morrell's Land とも。 同盟の一員であるが大陸と地続きの半島であり、風変わりな飛び地とも言える。 当地を同盟に加えるか否かを巡って幾度も島主会談が行われたが、最終的にはトゥーレ使節よりのが決め手になったという。 地理的特徴のせいか離脱に用いられたの力なのか、実存世界との接続が完全には絶たれておらず、一定周期ごとに陸路で往来できることから貴重な陸上交易路として栄えている。 ジャケー島 Jacquet Island : 実存世界においては北アメリカ大陸の東、北緯47度・西経43度の位置に存在していた小幻島。 離脱後はおよそ150km北へ移動した。 識者によればペーターマン島と同じくトゥーレによって離脱させられた島であるとのことだが、判明している限りでは本島においてトゥーレ文明の痕跡は現在まで発見されていない。 ピープス島 Pepys Island 極北島嶼: 領海だとか漁獲とかといったものについて様々な島の思惑が絡むためにその定義は複数存在するが、北緯45度線以北に存在する同盟所属の幻島はおおむね極北島嶼に含まれるものと考えてよい。 下記の島のほか、"イール-[番号] "の名称で管理される無名島も多数存在する。 クロッカー島 Crocker Land : 実存エルズミーア島北西に存在。 北海航路の中継基地。 ブラッドリー島 Bradley Island : 実存エルズミーア島西に存在。 ギレス島 Gilles Island : 実存スヴァールバル諸島北方に存在。 アンドレエフ島 Andreev Island : 東シベリア海の実存メドヴェージ諸島北方に存在。 エドアルド島 Eduardo Island : 実存フランツァ=ヨシファ近海に存在。 現在は博士島 Doctor Island。 ハームズワース島 Harmsworth Island : 実存フランツァ=ヨシファ近海に存在。 現在は婦人島 Lady Island。 タク・プク島 Tak-Puku Island : 軍用地として徴用され、移転された。 クリスティンカ島 Kristinka Island• セミョノフスキー島 Semyonovskiy Island• ワシリエフスキー島 Vasil'yevskiy Island• ディオメーデ島 Diomede Island• イール-011: 8の字型の奇妙な礁。 浸食による消滅を避けるため、1938年にコンクリート護岸工事が行われた。 イール-037: 実存世界離脱の際になんらかの事故が起こり、本来の位置から800km以上離れたゴドミィ Godmee ~ナガディナ Nagadina 航路の至近距離に出現してしまった小島。 複数のを用いての牽引が提案されたものの実現することはなく、結局現位置に保持された。 1960年頃まで灯台守とその家族6人が暮らしていたが、灯台の自動化と共に完全に無人となった。 南部諸島 Southern Islands カリフォルニア島 Island of California : 人口およそ340万人、面積およそ73,000平方キロメートル。 南部諸島における同盟の中心地にして、それらの代表者である。 実存世界離脱以前は代々カリフィア Califia を名乗る女王を頂に据える絶対王政が敷かれていたが、離脱後は北部諸島に倣って立憲君主制へスムーズに移行した。 政体変化よりおよそ3世紀が経過した現在でも女王のカリスマは絶大であり、カリフォルニア王室は今も島民に愛されている。 リヴァデネイラ瀬 Rivadeneyra Shoal : かつては実存コロンビアのおよそ500km西に存在したこの小さな砂州は1842年に偶然発見されたが、幸運なことにその後3度行われた実存世界人の調査行においても再発見と上陸を免れ、手付かずのまま残されていた数少ない幻島であった。 後に派遣された同盟の調査団によってリヴァデネイラ瀬は実存世界を離脱。 その後当地は一部を埋め立てられて小さな飛行場と漁港が建設され、実存アメリカ大陸における同盟勢力の対外活動拠点として機能している。 タプロバナ Taprobana : 南部諸島第二の面積を誇る島であり、元はインド洋に存在していた。 その成立は判然とせず、一説には伝地ではないかとも言われているが、島主以下大半の住民の意向により、現在まで特に問題なく同盟の一員であり続けている。 北部諸島と南部諸島のほぼ中間地点に存在するために交通の便がよく、両諸島の混淆によって築かれた独特な文化様式の存在などから観光地として人気が高い島のひとつである。 北西の町イオガナには同盟の本部が存在。 盗掘や襲撃を防ぐため島のあちこちに監視哨や検問所が立ち並び、どこへ行っても刑務所のような重苦しい雰囲気が付きまとうが、そこから算出される金銀が貴重な資金源となって同盟を支えていることは否定できない。 銀島金山にそびえる巨大なボイラ煙突群がトレードマークであり、みやげ物のモチーフには大抵これが選ばれる。 バカラオ Bacallao : 実存アゾレス諸島内に存在する島であり、原加盟島の一つでもある。 温暖な気候で大陸棚に近いことから漁業基地として栄え、伝統的な竿釣り船から遠洋トロール用の大型母船まで、一年を通じて多くの漁船が本島を利用している。 近年は保養地としても注目されており、北部諸島からの観光客が増加傾向にある。 この島は地理的にも空間系的にもに適した条件であるゆえに激戦の舞台となり、度重なる空襲・艦砲射撃とその後の修復工事によって往時の面影は完全に喪われた。 現在のサンディ島は島を丸ごと埋め立てて大規模な軍港と飛行場が整備された軍事拠点であり、"艦隊"の占領下にあった際の「ヨーヨー島(陽曜島)」なる名称で呼ばれることもままある。 アンソン多島海 Anson Archipelago : 南部諸島を構成する小島群であり、旧称はマゼラン諸島 Magellan Islands。 下記の島のほか、"イスラ-[番号]" の名称で管理される無名島も多数存在する。 「シュティーラーの地図」(1891年刊)より抜粋: ガンヂス島をはじめ幾つかの幻島が記載されている• ガンヂス島 Ganges Island : マーカス島 Marcus Island 、中之鳥(ナカノトリ)島という名でも呼ばれるこの島はアホウドリの滞在地であり、堆積したその糞が良質なリン鉱石になる。 自然保護のため島民および採掘従事者以外の長期滞在は基本的に認められていないが、島にアホウドリが渡来する夏季のみは解禁され、周遊・上陸ツアーが催される。 アホウドリは夏に冷涼な地域へ移動する習性があるが、真夏のガンヂス島に飛来する理由は未だ解明されていない。 グランパス諸島 Grampus Isles• ロス・ジャルディン諸島 Los Jardines Islands• セバスチアン・ロボス島 Sebastian de Lobos Island• アブレ・オジョス島 Abre Ojos Island• アビシニア礁 Abyssinia Reef• 入植計画が進められていた矢先に"艦隊"に占領されて以来同盟の手を離れ、今なおその所在は不明である。 イスラ-031: この島には外界由来の有毒昆虫「オブラックサソリモドキ」が侵入・繁殖しており、接近制限区域に指定されている。 特に乾季の間は該当種が著しく攻撃的になるため、入島は全面禁止となる。 彼らはしばしば、「T」の一字を自らのシンボルとして用いた ティレ Thile 、ティッラ Tilla 、トゥーリー Toolee 、テレン Tylen 、ティリー Thylee ……島ごとに無数の別名で呼ばれる贈呈者たちは、今ではおそらく同一の存在であったのだと結論付けられている。 我々幻島の住人に離脱と団結を呼びかけると様々な力を秘めたを授け、を通じて伝地との交流を仲立し、その後忽然と姿を消してしまった謎多き存在である。 トゥーレについて幾度となく調査と探検が繰り返された現在においても、その実態は依然として明らかにはなっていない。 彼らは我々に似てはいるものの起源を異とする先進的な文明を持ち、姿を隠す以前にその一端を我々に分け与えた…… ただその事実だけが伝えられるのみである。 トゥーレより各幻島に授けられた超自然的特性を備える物品を指す。 各遺物の名称は英単語一語を当てて命名されるが、1703年の同盟結成会談に参加した14島が保有するもの、あるいは並外れて強力あるいは巨大なものに関してはその前に丁 T を付けて区別する場合もある。 全てを掲載するにはあまりにも膨大であるため、やはり当項では一部を紹介するに留める。 1865年における、円弧状の大鉄骨で固定されている : グロークラントが保有。 "トゥーリーの偉大球(Toolee's Great Globe)"とも。 所有者の領域上における様々な変化を、発生のおよそ30分前に天然色の地形図上に映し出す金属球。 当初は上記の特性を帯びた直径30cmの地球儀であったが、ある日突然球部分が膨張を開始。 後日14島主会談を終えて戻った早々に『地球儀の球が膨らんで台座を破壊した』との報告を受けた当時の島主は、即座にの持つ第二の特性に気付いたという。 その後さらなる加盟島の増加と共にも膨張を繰り返し、現在の直径はおよそ45メートル。 その表示の読解と情報整理を専門とする機関が設立されて以来、は同盟の掌握する領域全てをカバーする早期警戒装置として今なお現役である。 : サンニコフが保有。 冷却池から浮上する「通天列柱」 8年に渡る戦乱期において常に戦場となったサンニコフだが、破壊されるたびに頑強となるこの遺物を拠点として同盟軍は敵の攻勢を防ぎ続けた。 は今やサンニコフ島全土のおよそ7割を覆い、地下には幾重にもコンクリート通路の根を伸ばす堅固な永久要塞となり、各所にはトゥーレ由来と推測される未知の先進技術が利用された兵器システム が配置されるに至る。 しかし近年になって急激な老朽化と崩壊が頻発するようになり、島庁は原因調査と補修工事を計画中である。 : ニュー・サウス・グリーンランドが保有。 全長270m、排水量およそ52,000トンの超大型貨客船「コロッサル号 COLOSSAL 」の主機関。 トゥーレからはコロッサル号に組み込まれた形で共に譲渡されていたが、ニュー・サウス・グリーンランドはコロッサル号"のみ"が遺物であると主張してその存在を秘匿し、この遺物とその器は1925年までなる名を与えられていた。 巨船の来訪は一大イベントであった そのような経緯はともかくとしてコロッサル号は長らく同盟が保有する最大の船であり、時代と共に少しづつ姿を変えながらおよそ一世紀に渡って人と物を運び続けた功労者である。 戦争期においても迷彩色に塗り替えられて輸送任務に従事していたが1944年末にスデロ Sudero 湾内で触雷し着底、翌年に除籍された。 その後往時の姿に修復され、現在は記念艦として余生を送っている。 は発電所に移設され未だ稼働中。 その性能諸元は機密に指定されており、一般には公開されていない。 : カリフォルニアが保有。 外見は質素な装飾が施された長さ7cmの小ぶりな銀匙。 カリフォルニアが他島の実存世界離脱に極めて協力的であったことから離脱型遺物の中では最も知名度が高いが、その実態は今なお厳重に秘匿されている。 『けして破損しない未知の金属でできている』、『使用時は人の背丈ほどに伸長する』、『当代カリフィア以外が触れると泥を吐いて死ぬ』……。 様々な風説が生まれては消えていくが、当のカリフォルニア王室はそのどれに対しても沈黙を貫いている。 : ペーターマン島やジャケー島、その他南北各地の無人島から複数発見された遺物。 この物体は濃度3. 5パーセント以上の塩水に触れると金属ナトリウム様の反応を惹起する未知の金属素材で作られており、その所在地がの画面に白色の輪のアイコンで表示されるという特性を持つ。 島によってサイズはまちまちだが、最大のものでも直径30cmを超えることはない。 某島で発見されたものに装飾された"T"の文字が刻み込まれていたことから遺物として正式認定された。 伝地の文化や地勢にはしばしば特異な点が存在するが、住民はそれをごく自然なものとして捉えている場合がほとんどである。 彼らはおしなべて自らの存在を秘匿する傾向が強く、現在同盟との間に結ばれている国交はほぼ全てがトゥーレの仲立ちがあってこそ成立したものだ、という論調が同盟内においては一般的である。 アンティリア Antilia : 幻島同盟が最初に接触した伝地であり、数少ない友好国。 一辺をパンチされた巨大な切符のような形状の国土はしかし、間違いなく自然現象によって形成されたものであり、アンティリアの人々はこれを神の祝福のしるしだと信じている。 アンティリア内に存在する七つの都市は、整えられた国土に倣うかのようにいずれ劣らぬ緻密な都市計画に基づいて整備されているのが特徴。 カプト・マゴニア Caput-Magonia : 実存フランス上空に存在するこの小国は空に浮かぶ陸地の上に築かれており、人々は未知の技術によって飛行する先進的な飛行船を主な交通手段としている。 かつてはただ"マゴニア"と呼ばれていたが、実存世界離脱前後に勃発した幾度かの政変を経て現在の国名と体制が完成した。 同盟とは長らく良好な関係にあり、フリスランドを通じて頻繁に交流が行われている。 オッキデンス Occidens : "アトランチス"という別称で広く知られるこの大陸国家は、同名の大陸とその沿岸の小島で構成されている。 首都はアクロポリス Acropolis。 大陸はひどく山がち で3000mを超す高峰も存在するが、その一方には砂漠地帯も広がる多様な地勢。 同盟とはおおむね良好な関係を維持しているが、他の伝地同様タプロバナ以外での交易には消極的である。 ヒュペルボリア Hyperborea : 1703年の14島首会談に同席した伝地の中で、同盟との国交開始を唯一辞退したエピソードばかりが有名であるが、当時の幻島人が会談を記録した文書の記述から、この国はトゥーレと非常に似通った気候・地理的条件下にあり、かつ同時代において酷似した文化様式を有していたことが判明している。 アウストラリス・インコグニタ Australis Incognita : 未知南方国とも。 実存世界のそれよりもずっと広大な南極大陸を支配し、豊富な資源に裏打ちされた工業力を誇る帝政国家。 過去に幾度か偶発的な接触はあったものの、我々のような"浮かぶ石ころ"には全く関心がないらしく、現在まで国交はない。 ハイ・ブラジル Hy-Brasil : 単にブラジルとも。 座標は実存ブラジルとほぼ同一だが、外界に存在する伝地である。 こちらからハイ・ブラジルの領域に入ることはできず、貿易品や人の往来は定期船のみを通じて行われている。 過剰ともいえる軍事力を背景に武装中立を貫いてきたが、近年はその相対的な衰退により変化を余儀なくされている。 敵対的存在 Hostile Being その名の通り、幻島同盟の構成要素である島と住民に対して敵対的なものを指す。 これは(おそらく)人間によって構成される団体にとどまらず、「虫喰」や「調査団」のような得体の知れない怪現象もその範疇である。 各島での出現報告が規定数を超えると島庁経由で大議会に指定の可否が打診され、出席者3分の1以上の賛成を得た場合にのみ指定される。 ほとんどの場合は海上で発生し魚や海鳥の餌となるに留まるが、ごくまれに陸地上空で発生する場合もある。 出現する昆虫は有毒種のみであることだけが過去の事例から証明されているが、その原理は現在に至るまで解明されておらず、予防策は存在しない。 危険性: 最高。 島内で現象が確認された場合は最寄の家屋内にて開口部を全て閉鎖した状態で待機し、島庁からの通達を待って全島避難を開始する。 帰島は根絶作業の完了後およそ1週間前後で許可されることが多いが、島面積や環境に応じて変動することに注意。 艦隊 Armada : その名の通り大規模な近代的軍事力を誇示するこの軍団は我々の生存を幾度も脅かしてきた極めて危険な存在だが、皮肉なことに分裂しかけていた同盟諸島を固く団結させる立役者でもあった。 北部ではサンニコフ島、南部ではサンディ島をそれぞれ主戦場としておよそ7年に渡る戦闘が展開された末、彼らは一旦我々の領域を去った。 しかし識別信号を出さぬ航空機や不審な航路を取る船舶の出現は未だに報告され続けており、未だ状況は予断を許さぬことを我々はいつも心に留めておかねばならない。 危険性: 高。 外航船舶および島間飛行従事機には不審船舶あるいは飛行物体の即時報告が義務付けられている。 報告は指定された通報周波数帯にて行われるべきだが、不可能な場合はその他あらゆる方法での警告伝達が奨励される。 VICの識別章 VIC海賊 VIC Pirates : 1874年に初めて出現し、今なお同盟の領域内にて活動を続けている唯一の海賊組織。 正式名称は不明だが、『ヴィクトリア Victoria 』『ヴィシニティ Vicinity 』『ヴィシャス Vicious 』等、襲撃ごとに『Vic』から綴られる様々な名を名乗ることからこの名で呼ばれるようになった。 襲撃の頻度はおおよそ数年おきで被害額も比較的少ないものの、戦闘潜水艦や大型航空機を恒常的に運用している点から、潜在的にはかなりの大規模組織であることが窺える。 当初は通商破壊・掠奪行為を担当する"艦隊"の隷下組織と推測されていたものの、両者が交戦している様子が複数回確認されたことから現在は否定されている。 危険性: 中。 主に北部諸島で活動していたが、近年は南部諸島でも被害報告がある。 自身の安全が確保され次第、速やかに警察機関へ通報すべし。 構成員および活動拠点について何らかの情報を持つ者は警察機関に報告すること。 通報者には褒賞金が授与される。 前述の通り構成員の入れ代わりが激しいため警察機関も組織の全貌を完全には把握できていないとのことだが、「ユアン・ドナティル Juan donatir 」、「ハンス・バッカー Hans Backer 」なる2名の人物がその中核であるらしい。 彼らは幾つかの小幻島から多額の現金と引き替えに購入、ないしは奇妙ではあるが無用な性質を持つ物体との交換という形で複数のを所有するに至り、1990年代初頭にアンソン多島海全域およびカリフォルニア島・タプロバナ・バカラオにおいて特別指名手配を受けた。 危険性: 低。 南部諸島でのみ活動が確認されているが、その主な標的はを所有する島主・島庁関係者である。 各島民は不審なデモや募金活動を発見した場合、速やかに警察機関へ通報すること。 山林に現れた「調査団」個体 横道調査団 Sideline Commission : 単に「調査団(Commission)」とも。 北式正装を纏った人間の姿をしているが、同盟法はおろか物理法則にすら従わぬ存在でありおそらく生物ではない。 不定期に島内に現れては陸上・空中・海面を区別なしに歩き回り、極度に旧式の器具を用いて地形調査を行った後、足元に一枚の名刺を残してその場から即座に消失する。 これまで意思疎通に成功していないためその意図は明らかでないが、無断観測行為が幻島の安全を脅かすものとして敵対的存在に指定された。 危険性: 低。 接近は禁じられており、対話行為は刑事罰の対象となる。 それらしき人物を発見した場合最寄の警察機関へ通報すること。 通報者には褒賞金が授与される。 近辺で名刺または疑わしき紙片を発見した場合はその文面を閲覧してはならず、土地所有者の許可を得て周囲の植生ごと遠方より焼却すべし。 幻島とは探検によって一度は存在が確認されたものの、後世の再調査によって実在が否定された島を指します。 それは領土拡大と資源獲得に燃える当時の人々が産み出した近現代の伝説であり、儚く消えたおとぎ話でもあります。 しかしもしそれが伝説やおとぎ話ではなかったとしたら? 幻島は財団世界にかつて実在した島であり、なんらかの超常的な要因である日突然消えてしまったのだとしたら……? そのようなアイデアを元にして"幻島同盟"は作られました。 シベリア東岸の海流交錯点、ノボシビルシキー周辺を彷徨う「サンニコフ島」、 日本列島の南東にあり、グランパス、ロス=ジャルディンほか多数の疑存嶼を擁する「アンソン多島海」、 そしてアメリカ大陸最大の幻島、16世紀の書籍にこの世の極楽と謳われた「カリフォルニア島」! かつて数百数千と存在した幻島の住人達は己が存在を守るため、『発見され、上陸され、財団世界に組み込まれてしまわないため』に別世界へ三々五々と姿を隠し、そこで団結したのが"幻島同盟"なのです。 その成立には「トゥーレ」と名乗る謎の存在(名前はご存知の方も多いことですね!)が携わっていました。 トゥーレは手始めに各幻島の島主へ『現世界を脱出し、同じ境遇の島々と力を合わせよ』という内容の手紙 と、そのための機能を持つ超常オブジェクト を贈り、数年後に様子を見に来たらどの島もいがみ合ってギスギスしていたので島主を集めて話し合いを行い、同盟を作ってやりました。 さらにその後、幾度かに渡ってトゥーレはひとりぼっちの同盟に「カプト・マゴニア」や「アンティリア」のような"伝説の土地"を紹介してやり、幾つもの世界を跨いだ国交を結ぶ手助けをしていました。 やがて同盟が独り立ちした頃にトゥーレは忽然と姿を消してしまいましたが、同盟はその帰還を待ち望みつつ"伝説の土地"の幾つかと21世紀初頭においても協力関係を維持しています。 協力……なぜ?隠れ潜んで事足りるなら、外に繋がりを作る必要はないのでは? いえ、それは違います!彼らは常に恐るべき脅威に晒されています! 「虫喰」、「艦隊」、「調査団」! 時空間の壁を容易く超えてやってくるこれらの敵対存在が彼らの領域に侵入し、時には手ひどく蹂躙していきます。 食われ、奪われ、暴かれて消滅してしまった島は一つや二つではありません。 ゆえに同盟は常に戦いへの備えを怠らず、未発見の幻島やそこに眠る新たな、そしてなによりも多くの資源や食料を求めて内外へその手を伸ばしています。 かつて彼らが存在を許されていた財団世界や、によって繋がった別の世界へ漕ぎ出していくこともしばしばです。 そのような行動を取る幻島同盟が"SCP財団"やその他GoIに存在を捕捉されるのも、しごく当然の成り行きですよね! お好きにどうぞ! あなたの記事にどれかの島を絡めてもよし、あるいはリストに名前がない幻島にご自分の設定を付与してもよし。 あなたの記事にピッタリな条件を持つ島を、あなたの手で作ってしまいましょう! 使えるのは島のみに留まりません。 同盟や敵対的存在の構成員を登場させることも可能ですね? 異世界を調査中の財団職員と会わせるのは定番ですし、財団世界にエイヤと乗り込ませるのも乙なものです。 より面白くなる・より適当であると思ったなら、この記事に書いてある設定と矛盾してしまったって構いません! 幻島同盟の世界を覆う薄ぼんやりとした霧を取り払い、彼らに命を吹き込むのはあなたです! ・幻島の在りかた 上の記事において幻島には三つのタイプが混在しています。 どのタイプかで記事中での書き方も変わるでしょうから気になるところかと思いますが、現状では特にこだわる必要はなく、好きなように設定してよいと私は考えます。 明白に『離脱』したにも関わらず、実存世界と定期的に接続していると明記されている、ニュー・サウス・グリーンランドのような例もありますので……。 ・命名規則-イスラとイール 上記記事においては「極北島嶼」に属する無名の島=イール、「アンソン多島海」に属する無名の島=イスラと分類されていますが、これはいささか誤解を招く記述でした。 実際はもっと広範に、「北部諸島」に属する無名島=イール、「南部諸島」に属する無名島=イスラとするのがより正確な定義です。 ・命名規則- 命名規則については記事中で述べた通りですが、"丁"を付けて呼ばれるに関しては若干の法則性があります。 ですが、これに必ずしも従う必要はありません。 : 原加盟島ゆえに"丁"。 グロークラントが保有。 : T-Wagon、あるいはT-Trolleyとも表記。 : 巨大ゆえに"丁"。 サンニコフが保有。 : 巨大ゆえに"丁"。 ニュー・サウス・グリーンランドが保有。 : 原加盟島ゆえに"丁"。 カリフォルニアが保有。 その他不明点・おかしな点などありましたら、どうぞお気軽にディスカッションあるいはPMでお伝えください。 7月21日まででしたら当項に反映できるかと思います。

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サソリ島 浮島

島名の由来 「宮古(ミヤコ)」という地名の由来には諸説がある。 代初期の『』仁宗記や1605年の『温州府志』には、に「波羅公管下密牙古人」が永嘉に漂着したとの記載があり 、一般にはこれが文献における宮古島の初出とされる。 「波羅公管下密牙古人」の解釈としては、「婆羅公」を琉球士族のと推定し「密牙古」を宮古の意味であるとする説 や、「波羅」は保良(宮古島内の地名)であり「密牙古」は宮古の意であるとの説 があるが、温州府志の数十年後に書かれた『』では「婆羅」はの意味であると説明されており 、解釈は定まっていない。 また、『』(李朝実録)には、1477年(8年)にに漂着した朝鮮人が宮古島を経て帰還した際の記録が残っており、宮古島は「悖羅彌古」や「覓高」と記されている。 1509年に正殿の欄干に設けられたの事跡を讃える碑文「百浦添欄干之銘」には、1500年のについて「当西南、有国、曰太平山、弘治庚申春、遣戦艦一百艘、攻之」と記されており、当時、「太平山」は宮古と八重山の総称であった。 1701年に成立した『』には、「庇郎喇(平良)、姑李麻(来間)、烏喝彌(大神)、伊奇麻(池間)、面那(水納)、伊良保(恵良部)、達喇麻(多良間)、以上七島、総称之曰宮古島、又曰麻姑山」と記されており、「宮古島」や「麻姑山」は宮古島ではなく宮古列島を指して用いられ、宮古島は「庇郎喇」とされている。 慶世村恒任は『宮古史伝』において、「ピサラ(ヒララ)」とも「ミヤコ」とも呼ばれていたものが、一方は村落の名前に、他方は島の名前になったと考察しており、「ヒララ」は平地を意味し、「ミヤコ」は都の意で勢力の中心を示すとする。 のとしてに赴いたがに著した『』には「太平山、一名麻姑山 始為宮古、後為迷姑、今為麻姑」と記されている。 前半は宮古島が「太平山」や「麻姑山」とも呼ばれていたことを示しており、後半は「はじめはミヤコ(又はミヤク)といい、後にメークといい、今はマークという」と解されている。 地理 直角三角形のような形をした島で、南東端にが、北西端にがある。 周囲には、北西に、北、西に、、南西にが位置している。 池間島、来間島、伊良部島とは、それぞれ(1,425 m)、(1,690 m)、(3,540 m)で結ばれており、下地島とも伊良部島を介して繋がっている。 唯一陸路のない大神島との間には定期航路がある。 主としてからなる台地の島で、全般に平坦。 最高地点のンキャフス嶺(旧城辺町砂川小学校付近)とナカオ嶺(旧城辺町比嘉集落付近)でも115 mである。 古い文献等では島の中央部に聳える野原岳(標高108. 6 m)が最高地点とされていたが、後の精密な測量により最高地点ではないことがわかっている。 川らしい川はないがが豊富であり、上水道の水源としてや地下水が利用されている。 地下水を堰き止めるやなどのが建設された。 詳細は「」を参照 島の北側の海域には、「(やびじ)」と呼ばれる、宮古島の面積の約10分の1に及ぶ日本最大級の群が広がっており、漁場やスポットとなっている。 八重干瀬は、の時には海面から露出し、特に春等の干満差の大きな時期には広大な島のようになるため「幻の大陸」とも呼ばれる。 宮古島や、近隣の池間島、来間島、大神島、伊良部島、下地島に加えて、、を合わせて、と呼んでいる。 (平成7年)にが行われたのを含めると、宮古列島の島は9つになる。 海を隔てた南西側約250 kmには、さらにはがある。 行政区域としては、10月にいわゆるにより、5市町村が新設合併し誕生したに属する。 旧5市町村のうち、宮古島を市町村域としていたのは、(宮古島北部及び池間島)、(宮古島南東部)、(宮古島南西部及び来間島)、(宮古島南部)であった。 天気予報では「宮古島地方」という場合と「宮古島」という場合とがあるが、「宮古島地方」は宮古列島全域のことを指し、「宮古島」は宮古島地方のうち宮古島市に属する地域(多良間村に属する多良間島及び水納島を除く地域)を指す。 地質 宮古島の地質は、上から島尻マージ(赤土)、、からなる。 琉球石灰岩はやにより浅い海底となった時にが発達してできたもので、厚い層をなしており、旧上野村付近で厚さ50 m、島の北東部においては120 mに達する。 基盤となっている島尻層泥岩は島の北東部にわずかに露出する。 琉球石灰岩は多くの空隙を含んでおり、水を通しやすいため、地表を流れる大きな川はない。 宮古島周辺で海の透明度が高いのは、河川水を通じて泥などが流入しないためといわれる。 島の北西から南東へ数条のが延びており、断層に沿って幅約100 m、高さ約30 mの石灰岩からなる堤防状地形が見られる。 この地形は断層によって露出した部分が浸食されにくいという琉球石灰岩の性質によってできたものであり、東側が急斜面、西側が緩斜面となっている。 また月別平均気温の(1981年 - 2010年)に基づけば Af に相当する。 の1971年 - 2000年の平年値では最寒月平均気温が17. (宮古島市平良字下里)• 位置 : 北緯24度47. 6分、東経125度16. 6分、39. 9メートル• 年平均気温 23. 最寒月平均気温 18. 612 mm、年平均降水量 2021. 0 mm• 最少雨月降水量 130. 8 mm(1月、7月) また、宮古島はの常襲地域()でもあり 、毎年夏から秋にかけて多くの台風が同島を通過する。 過去には、をはじめやなど、被害や影響が大きかった同島にちなんだ名称の台風も複数存在する。 生物 の面積の大きい島の中では、唯一のが生息しない島である。 これは、標高が低いため、過去の海進の時に水没し、それ以来は他の島と陸続きになる機会がなかったためとされてきた。 しかしながら、やミヤコサワガニなどの固有の陸生・陸水動物が分布することや、絶滅した大型のシカ類であるミヤコノロジカの化石が発掘されることから、この仮説には疑問が呈されている。 島全体が低い丘陵地で、森林は海岸性のものがわずかにある程度である。 固有種は少ないが、や植物がいくつか知られている。 宮古島に由来する名を持つ生物に、以下のようなものがある。 ・ミヤコヒバァ・ミヤコヒキガエル(の亜種)• ミヤコサワガニ• ミヤコケブカアカチャコガネ・ミヤコリンゴカミキリ・ミヤコアヤモンチビカミキリ・ミヤコマドボタル・・ミヤコエダナナフシ• ミヤコヤマタニシ・ミヤコオキナワギセル・ミヤコパタラシノミギセル• ミヤコジマソウ・ミヤコジマツヅラフジ・ミヤコジマツルマメ・ミヤココケリンドウ・ミヤコジマニシキソウ・ 歴史 有史以前 約50万年-40万年前に浅い海でが発達して、層が形成され 、その後のにより島嶼化したと考えられている。 (7万年-1万年前)には海水面が120 m低下し、と陸続きとなった。 (昭和54年)、旧字野原にあるピンザ・アブ(で「山羊の穴」)と呼ばれる洞穴で、約2万6000年前の化石人骨が発見され、 と命名された。 沖縄本島のよりも古く、後頭骨については港川人に共通するもので、後期には宮古島に人類がいた可能性が指摘されている。 最終氷期が終わると海面上昇によりいったん水没したとする仮説があるが、疑問が呈されている(参照)。 宮古島の南東海岸の地にある(紀元前900年頃-西暦100年頃)の浦底遺跡、アラフ遺跡等からは、製貝斧や製装身具等が出土する。 しかし、人骨等の直接人に関わる考古学上の発見がないため、その当時どの様な人々が住んでいたかは不明である。 やの同時代の遺跡からは同様な貝製品は出土せず、台湾などの同時代の遺跡からは貝製品が出土するため、台湾等の南方との交流もあったと考えられている。 城辺友利のインギャー海岸近くにある友利元島遺跡では、2012年の発掘調査で無土器時代及び(12-16世紀)の人骨各1体が発掘されるとともに、11世紀から14世紀にかけてので作られていた(高さ約11cm、 幅約15cm)が完全な形で出土しており、無土器時代とグスク時代の間にある宮古島の歴史の空白を解明する手掛かりとして期待されている。 古琉球時代• - 中国代初期に書かれたや、33年(1605年)の温州府志において、婆羅公管下密牙古人が温州に漂着したことが記される。 頃 - 豪族が起こり、争闘がおよそ半世紀におよぶ。 - 宮古の豪族・真佐久(よなはせどとぅゆみゃまさく)がに上がる。 - 与那覇勢頭が、中山王に八重山の使者と共に朝貢を行い臣下の礼をとる。 14世紀から15世紀には、宮古・八重山も琉球の統治下に入ったとする説もある。 15世紀ごろの宮古の有力な豪族達は、中山を後見に八重山を統治しようとしていたともされている。 「豊見親(とぅゆみゃ)」の称号は、「名高き領主」の意で宮古の豪族をまとめる人物に与えられた。 - 与那覇勢頭が朝貢した中山のが琉球(王統)の王となる(琉球国の成立)。 - 八重山でを首領とするが起きる。 またこの頃、のを攻める。 この乱の鎮圧に功績をあげた(なかそねとぅゆみゃ)は、琉球国の王である(王統)によって宮古の頭職に任じられた。 また、次男・祭金(まつりかね)豊見親も八重山守護職に任じられたがに病死したため、三男の知利真良(ちりまら)豊見親が後任となった。 - 与那国島でが乱を起こしたが仲宗根豊見親に鎮圧される。 仲宗根豊見親は琉球を後見として、武力で宮古と八重山を統治下におさめた。 以後、19世紀・琉球処分までの約380年間、仲宗根豊見親の子孫・忠導氏(ちゅうどううじ)。 知利真良豊見親の子孫・宮金氏(んみゃがーにうじ)。 与那覇勢頭豊見親の子孫・白川氏(しらかわうじ)の3つの氏族が門閥を作り、宮古島の頭職をはじめ多くの官職をその子孫達が占めるようになった。 仲宗根豊見親の死後、宮古島の頭職を仲宗根豊見親の長男・仲屋金盛(なかやかなもり)豊見親が、継承した。 しかし、人々の名声は現在の城辺町字友利の豪族で勇知に優れ、善政を行った金志川那喜太知(きんすかーなぎたつ)豊見親に集まった。 - 金志川への誹謗中傷を信じた仲屋金盛は、金志川那喜太知をだまし討ちに掛け殺す(大嶽城の変)。 この変を起因として「豊見親」の称号は、琉球国王の令で廃止される。 また、仲屋金盛は自害させられた。 このとき琉球より任命された平良大首里大屋子(うぷしゅりうぷやぐ・琉球国王の代官)と下地大首里大屋子の二人が頭職として統治を始める(これをもって、宮古・八重山が実質的な琉球の統治下に入ったともされる)。 - 稲石刀自が綾錆布を尚永王(琉球国王)に献上し(夫が褒賞を受けた返礼として)宮古上布の端緒となった。 稲石刀自の夫は、下地真栄(ムアテガーラ)と言い明国への進貢船に乗り組み、嵐の中船を修復し国王より報償を受けた。 - 長眞氏旨屋(ちょうしんうじしや)が、福建より甘藷を持ち帰ったとする伝承がある。 江戸時代• - 薩摩藩()が琉球を武力で侵攻する()。 - 祥雲寺(山号は龍宝山、臨済宗妙心寺派)が建立される。 - 琉球が頭職を2人から3人として、・を検地する。 - 島内が平良、砂川、下地の3つのに分けられる。 この行政区分は明治末期まで続いた。 - 琉球がを施行する。 - 下地恵根が松苗数本を持ち帰り大武山・島尻後に試植する。 - 下地恵根が約二千本を洲鎌村に植え造林の端緒を拓く。 - 大地震により祥雲寺の寺院や石垣が崩れる(元禄9年)。 - 『宮古島旧記』(歴史書)が刊行される。 - 『御嶽由来記』が記される。 - が掘られる。 - 咲田川近くに(はし)を架橋する。 - 『雍正旧記』(ようぜいきゅうき、歴史書)が刊行される。 - 『宮古島記事仕次』(みやこじまきじしつぎ、歴史書)が刊行される。 - 『宮古島在番記』が刊行される。 上地与人白川氏恵 賛。 1897年まで書き継がれる。 歴代の首里王府派遣在番、三間切頭、大安母、祥雲寺詰僧、詰医者、異国船の寄港・漂着、その他疾病、災害、事件などを記録する。 - による大津波(明和の大津波)。 宮古地方での死者行方不明2,548人。 村立て• (むらたて)とは、沖縄県の離島宮古島の人口が増えたりして生活が成立しなくなったために一部の人々が別の場所に新たに村を作ることをいう。 薩摩藩のを受けた琉球王府が貢租確保の手段として、先島の経営強化を打ち出した後のことである。 琉球王府からの指示もあり、土地を開拓し耕地を増すことが重要課題であった。 通常人々の強制移住を伴う。 平良市史によると1686年から明治時代に及ぶ。 習慣などは古い集落の習慣を引き継ぐ。 新しい村に重要なことは水源地が近くにあり耕地があることである。 7月9日 - ドイツの商船「R・J・ロベルトソン号 R. Robertson 」(エドュアルト・ハイムスハイム Eduard Heimsheim 船長)が宮古島南岸付近で台風により座礁し、島民に救助される。 - に関係して、明治政府が台湾に出兵する。 4月 - 明治政府は、琉球王府側の納得・同意が十分に得られないまま、琉球藩を廃止して沖縄県を設置する。 いわゆるへの抵抗として、同年7月にが起きる。 3月 - ドイツ皇帝が、独逸商船遭難救助の謝意として軍艦チクロープ号を派遣する。 がドイツ政府よりを受ける。 - らが、第五回帝国議会に廃止の請願書を提出する。 - 人頭税が廃止され、地租改正が行われる。 5月 - 時に、ロシア海軍のに奥浜牛が遭遇する。 により八重山に報が送られ、那覇を経由してに報が届く。 - 施行に伴い、平良・下地・砂川の3間切と多良間島をもって平良村、下地村、城辺村、伊良部村の4村が成立する。 - 平良村多良間島(水納島も含む)がとして分村となる。 - 平良村が町制施行し、平良町(たいらちょう)となる。 - が宮古列島に侵入する。 9月 - 七原・屋原・クイズの土地を強制接収し、海軍飛行場の建設が始まる。 10月5日 - 下地村字野原の土地を強制接収し陸軍中飛行場が、下地村洲鎌・与那覇の土地を強制接収し陸軍西飛行場が建設される。 10月10日 - いわゆる「10・10空襲」。 軍要員10人死傷、民間人4人死亡、住家13件全半焼の被害が生じる。 以後、空襲が続き、平良をはじめとする民家の密集地の大半が焼失。 9月15日 - 米軍が宮古島に上陸する。 米国統治時代• 12月8日 - が発足する。 - 南部琉球軍政府が発足する。 着任したマクラム中佐の道路整備により「マクラム通り」が命名される。 - 城辺村が町制施行、となる。 3月 - が発足する。 - 平良町(たいらちょう)が市制施行、(ひららし)となる。 - 下地村東部がとして分立する。 『宮古島庶民史』(稲村賢敷 著)が刊行される。 - 下地村と上野村の一部が町制施行し、となる。 11月 - 三代目市長の石原雅太郎らにより、電気・水道・港湾の三大事業と都市計画が策定される。 平良市の基礎づくりが始まる。 - 宮古群島政府が発足する(米国軍政府布令第22号「群島政府組織法(The Law Concerning the Organization of the Gunto Governments)」に基づく)。 - がに改組される。 - 時事新報(後に宮古時事新報、1968年にに改題)が創刊される。 - が発足する。 - が創刊される。 - が開港し、民間航空の運航を開始する。 - 『琉球諸島における倭寇史跡の研究』(稲村賢敷 著)が刊行される。 9月 - 14号が宮古島を通過し、同島での最低気圧が908. 1()を観測する()。 『海上の道』( 著)が公刊される。 農業を目的として大神島から集団離島し、同島の人口が半減する。 9月 - 平良第一小学校と岡山県津山南小学校が姉妹校となる。 - が、平良市久貝にラジオの中継放送局(1150 ())開局する。 3月15日 - 平良市との両議会で姉妹都市提携を議決する。 8月 - 総理大臣が来島する。 9月 - 台風18号が宮古島を通過、同島の最大瞬間風速が85. この記録は日本での観測史上最大の記録である()。 - (OHK・現在の)が宮古島をはじめでに先駆けてテレビ放送を開始(KSDY・US9ch、復帰後1976年まではNHK沖縄宮古となる。 なお沖縄本島では1年遅れて放送が開始された)。 9月 - 台風16号が宮古島を通過、死傷者を出す大きな被害が発生する()。 日本への復帰以降• - する。 6月 - がとの放送を沖縄本島と同時に開始する。 4月 - 宮古島の県道平良与那覇線(西里 - 上地)、城辺下地線(現在のとは別ルート)、平良保良線(福里 - 保良)が当島初のに昇格しとなる。 12月22日 - NHKテレビの・日本本土との同時放送が開始される(同時に・も開始される)。 また、電話も沖縄本島や日本本土と即時通話可能になる。 5月 - 宮古島初の局である宮古島有線テレビ(現在の)が開局し、日本テレビ・テレビ朝日・テレビ東京の番組の放送を開始(CMもの内容をそのまま配信)。 12月 - 宮古空港 - 間にジェット旅客機()が就航する。 - 世界初の本格的地下ダムとなる、皆福地下ダムが完成する。 4月1日 - 伊良部村が町制施行し、となる• 7月1日 - 核兵器廃絶平和都市宣言• 8月 - 新しい放飼法(冷却放飼)による不妊虫放飼を開始する。 4月 - 第1回が開催される。 11月 - ウリミバエを根絶する。 7月 - 宮古空港と初の本土直行便となる便が就航する。 1月 - 宮古本島 - 池間島間にの供用を開始する。 2月 - の杮落としとして、初のオープン戦( - 戦)が開催される。 2月 - プロ野球が宮古島で初のキャンプを実施する。 - 琉球放送とが宮古島など先島諸島でテレビ放送を開始する。 2月 - 宮古本島 - 来間島間にの供用を開始する(橋として建設され、日本一長い農道橋となる)。 - のため来沖したドイツ首相が親善訪問する。 7月 - 宮古地区全6市町村による、宮古地区市町村合併研究会が発足する。 4月 - 宮古地区合併協議会が発足する。 - 宮古島初のとなるが開局する。 9月11日 - が宮古島を通過する。 平良市が、6月23日の慰霊の日を最終日とする1週間を「平和週間」と定める。 - ・が来島。 宮古南静園などを視察する。 - ・・・・のによりが発足する。 - 宮古島オリックス協力会が、同球団を日本一に導いた監督の功績を称え「信汗不乱」の顕彰碑を建立する。 - 元首相のを団長とする「宮古島エコアイランド自民党視察団」が来島する。 - 大相撲宮古島場所が宮古島市総合体育館で催される。 3月 - 『宮古島市環境モデル都市行動計画』が策定される。 - 宮古島市が、北九州市・水俣市と「環境モデル都市九州・沖縄3都市連合」を発足する。 - 宮古島市が、(株)との実現のための連携と協力に関する包括協定書を締結する。 - に関係して移住が増える。 2月 - と住民情報を記録した基幹業務システム等の「電算データ相互保管協定」を締結する。 10月 - 市域が舞台の一つとなったNHK『』が放送。 - による暴風・波浪が発表される。 - 宮古島 - 伊良部島間にが開通。 、 - 宮古島市総合体育館にて大相撲宮古島場所が開催。 文化 パーントゥ(宮古島総合博物館) 神話 宮古の伝承をまとめた初頭の『御嶽由来記』には、以下が記されている。 宮古島が島の形もなしていない太古、天帝(あめのてだ)が柱の端を折り、弥久美神(やぐみのかみ)に授け、「下界の風よからんところに島を造りなせ」と命じ、天の夜虹橋(あめのゆのづはず)から下界の大海原に岩柱を投げさせ、固まったのが今の宮古島となった。 天帝は次いで赤土を下し、古意角(こいつの)神に「下界に降りて人の世を建てて守護神となれ」と命じたが、古意角が「我に足らざる片つからだを賜え」、天帝「汝五躰を備う、また何の不足かあらん」、古意角「すべてあればあり、陰あれば必ず陽あり」との問答を経て、天帝はようやく古意角の願いを入れ、女神の姑依玉(こいたま)の共を認めた。 古意角・姑依玉の両神は、豪勇の盛加神(もりかのかみ)を始めとした八十神百神(やそかむももかむ)を連れて天の夜虹橋を渡り、七色の綾雲に乗って地上に降った。 彼らは漲水天久崎(ぴゃるみずあめくざき)の地(の東側にあった岬、現在は埋め立てられている)に宮居を定め、宗達(むにだる)・嘉玉(かだま)の男女児が生まれた。 また、島は赤土ばかりであったので、天帝が再度黒土を下し、宮古島はが実るようになった。 十幾年かが過ぎ、宗達・嘉玉が大きくなった頃、天帝は葉を身にまとった木装神(きそうのかみ)という男神、青草を身にまとった草装神(ふさそうのかみ)なる女神を下した。 それぞれ宗達・嘉玉の夫婦となり、東地・西地に住んだ。 彼らが住んだこの地は、現在の東仲宗根・西仲宗根という。 宗達夫婦は世直真主(たよなおしのまぬす)なる男児を、嘉玉夫婦は素意麻娘(そいまらつかさ)なる女児を産んだ。 のち、この二神が夫婦となり、子孫が栄え、宮古島民の祖となったと云う。 アヤグ(綾語)とクイチャー(声合) アヤグもしくはアーグとは、宮古方言を用いた詩歌のことである。 も参照。 とは、クイチャーアーグの省略のことである。 標準語に直訳すると、「アヤグの声に(クイ)合わせ(チャー)」という意味である。 アーグ(歌)に合わせた踊りのことで、踊られる地域もしくは、歌の内容によって様々な振り付けがある。 御嶽への信仰 宮古列島には、約900近い(宮古方言では、各村々によって「う」の発音に違いがあり、「うたき」又は「おたけ」という。 )が存在している。 古くから信仰の対象として人々が祭祀を行う聖地は存在していた様であり、それらの聖地は様々な名称で呼ばれていたようである。 しかし、からに琉球王国の支配が強固になり、琉球王国領内の土着の聖地を御嶽と名付け、体系化し、王家(尚氏)と関連づけ、制度を整えた。 御嶽とは、琉球の聖地で、本土のに相当する。 しかし、神社とは全く異なった祭祀儀礼を行う。 祭祀集団はやで組織され、御嶽の中へは、祭祀を行う時以外入ってはいけないとされている。 一般の人々も、神社でそうするようには参拝を行わない。 ただし、明治時代から昭和の初期に地域の文化を否定し、日本全国を均一化しようとした運動があり、その中で神社化された御嶽は例外となっている。 御嶽への信仰は、「生命が自然界と人間社会を循環している」との思想に基づくものである。 そのため、御嶽の領域内に生えている植物を切ってはならないと言うが存在し、そのため、広い領域を持った御嶽の周辺には、御嶽林(うたきりん)と呼ばれる植生が生育していることがある。 各々の御嶽にはさまざまな神々が祀られている。 島の創造神・精霊・村の守護神・歴史上の偉人・などである。 なお、「島尻のパーントゥ」で有名な「」も、神々がパーントゥに姿を変えて、元(ムトゥ・氏神を祭る家)の祭礼に現れるというものである(に列挙した各サイトも参照)。 御嶽への信仰が成り立っていた条件は、琉球王府時代に、その人物が所属する村(字)内での結婚しか認められなかったこと、及び、住居の移動が禁止されていたことによって、より強固な祭祀集団が結成できたことと、「御嶽の中には入ってはいけない」という強力なタブーが存在してきたことにある。 近年は、社会的な状況が変わり、これらの条件が無くなってしまい、御嶽への信仰もかつてのようには盛んではない。 御嶽に籠って身を清めた女性によって行われる秘儀祭祀として知られるウヤガン祭も存続するのは大神島のみである。 稲作の伝来 は民俗学研究の仕上げとなる「海上の道」において、「中国で貨幣とされた宝貝を中国南部から宮古に求めにきた人々が伝え、稲作栽培が島伝いにを北上し伝えられた」という稲作伝来のルートを唱えた。 しかし、の稲作遺跡が沖縄・奄美などの北部琉球には無く、考古学的な確証が得られていなかった。 しかし後に、水田に限定しない稲作が考慮されたことで柳田説が見直される。 また、古代九州の島嶼におけるの存在や古代温帯ジャポニカ米DNA解析における熱帯ジャポニカDNAの類似なども確認されたことで、弥生以前の縄文黒潮ルートによる稲作伝来は有力説の一つとなっている。 芋の伝来 長真氏や河充氏の家譜によると、に長眞氏旨屋(ちょうしんうじしや。 琉球王国の官吏であり、後の役職は砂川親雲上)もしくは、ウプザ・ガーラ(標準語に直訳すれば「大座のカシラ」、字松原出身の船頭)という人物が、沖縄本島より宮古島への航海中、嵐に遭い、の福州()までし、にそこから金藷という品種の甘藷()を持ち帰ったという伝承がある。 に宮古島・蔵元より琉球王府に報告された『御嶽由来記』という書物にも、この旨が記されている。 これが真実であれば、沖縄本島に野国総監が甘藷を伝えたよりも7年早く、宮古島が現在の日本の領域内で最も早く甘藷が伝来した場所になる。 しかし、甘藷がから中国・福州に伝来したのは、旨屋が福建省に漂着したのと同じ1594年のことであり、1597年はそのわずか3年後であることや、『御嶽由来記』は宮古島のやを記述した本であることから、この説には疑問が呈されており、『宮古史伝』や『宮古島庶民史』は家譜の記述を誤記として退け、宮古への伝来をとしている。 また、沖縄本島や八重山列島には別系統での伝来が伝えられており、宮古島を経由して伝来したとはされていない。 ちなみに、長眞氏旨屋(字松原・字久貝では、ウプザ・ガーラ)に対して、宮古島の人々は、ンムヌシュウ(宮古方言で芋の主、甘藷神)として、芋報礼(ンムプーリ)という感謝祭を昭和の中頃まで捧げていた。 しかし、宮古島でのサツマイモの栽培が廃れると、次第にこのンムプーリも盛大には行われなくなった。 宮古上布 詳細は「」を参照 一反織るのに数ヶ月かかる上布の最高級品で、「東の越後、西の宮古」と呼ばれと並び日本を代表する上布である。 国の重要無形文化財。 に稲石刀自(いないしとぅじ)が創製したと伝えられる。 明治初期以前はとして琉球王府に貢租。 琉球から薩摩に貢納された後、薩摩上布として全国に販売・流通されていた。 ドイツ商船遭難事件とその後の交流 、宮古島南岸の沖で、商船「R・J・ロベルトソン号」(エドュアルト・ハイムスハイム船長)がのため座礁した。 この船は中国の福建でを積み、のへ向かう途中だった。 船はマスト2本が折れ、船員2名が死亡、ボート2艘も流失し、干潟に乗り上げた状態で座礁。 近海を航行していた船が座礁を目撃し、小船を出して救出しようとしたが、高波のため断念した。 ほぼ同じ時期に島の役人も座礁を発見し、船を出そうとしたものの、夜間で高波のため断念、島民は沿岸に篝火を焚いて、座礁船に残る乗組員を励まし続けた。 翌朝、まだ高い波の中、小船2艘を出し、船に残っていた1艘と合わせた3艘のボートに生存者8名(ドイツ人6名、うち女性1名、中国人2名)を救出した。 役人は役場を宿泊所として提供、自らはその周りに仮小屋を立てて過ごした。 当時の島民の主食はだったが、遭難者にはや鶏肉を与え、看護し続けた。 34日間を宮古島で過ごした後、彼らはのへ渡り、イギリスの汽船で中国へ、中国から祖国ドイツに帰ることができた。 船長がこの一連の遭難話を「ドイツ商船 R. Jロベルトソン号宮古島漂着記」と題してに公表したところ、大反響を呼び、時ののが知るところとなった。 その博愛精神に感動した皇帝は3年後の、軍艦 ()号を派遣し、皇帝の誕生日でもあるに感謝の石碑を建立した。 中央政財界に進出し海外と交流のあったが、ドイツ政府より友好の証としてを受賞している。 日独間がを結んでいたには、や日独親善団体、宮古教育部会の協力のもと、遭難現場近くの宮国ンナト浜に「獨逸商船遭難の地」の碑が建てられた。 また、翌には、が全国から募集した「知らせたい美しい話」で、この史実が1等に選ばれ、のに載り、「博愛」という題で全国の子供たちに紹介されることになった。 、遭難地近くに「うえのドイツ文化村」という施設が建設されたが、のがで開催されており、ドイツ首相のが親善訪問した。 - 多良間島との定期旅客航路や、那覇・石垣・本土等との定期貨物航路が就航している。 島尻漁港 - 大神島との定期旅客航路が就航している。 路線バス• - 平良地区と島内各地・来間島を結ぶ。 宮古島とを結ぶ路線も運行。 - 平良地区と島北部の地域、島尻漁港、池間島を結ぶ。 - 平良地区と伊良部島内各地を結ぶ。 - 宮古島と下地島空港を結ぶ。 防衛 「」および「」も参照 陸上自衛隊のや 、航空自衛隊の基地であるが置かれ、後者は南西諸島に接近する航空機を監視している。 沖縄本島と宮古島の間にある290 km(158. 9海里)の宮古海峡は排他的経済水域にあり、と太平洋を隔てる要衝()である。 なかでも西太平洋への進出を目指す中国海軍にとって、宮古海峡は最短で太平洋に進出できる出口として重要視しているとされ 、宮古島を含む境界線上の島々はと表現され、海洋戦略上重要な概念になっている。 近年のは、海洋利権拡張のためにや、といった離島の領有権を主張し、宮古島近海でもを示唆するの動きが見られる。 また、沖縄に関しても中国側の政治的意図を示す言説が近年に浮上しており、かつての大陸国(など)と琉球との交流を根拠とするを標榜する主張等もみえ、2016年には中国でこうした沖縄関連の学術会議が開催されている。 宮古島では、中国の軍国主義姿勢を脅威として現実的に受け止める人々がいる。 また一方で、近隣国と軍事的緊張を高めるとして自衛隊配備に反対を唱える人々もいる。 に基づき同島の防衛を主任務とするの部隊(離島警備部隊及び地対空・地対艦ミサイル部隊)配備が決定し、は2017年10月に地元自治体との契約を締結。 2019年2月22日の閣議決定を経て、2019年3月26日に宮古島駐屯地が開庁した。 放送 島内に(沖縄県域民放ラジオは伊良部島)があり、テレビ・ラジオともこれらの中継局から受信可能である。 このほか、のがあり、島内のほか、宮古列島ほぼ全域(及びを除く)で受信可能である。 にのが開局し、島内のほか、宮古列島ほぼ全域で受信可能である。 観光 にはで有名。 名勝・旧跡・観光スポット• 109 2018年10月1日. 2019年6月23日閲覧。 『』宮古島市、2019年3月。 109 2018年10月1日. 2019年3月16日閲覧。 宮古島市総合博物館. 2020年3月3日閲覧。 宮古5市町村合併推進協議会. 2020年3月7日閲覧。 藤田豊八『東西交渉史の研究 南海篇』荻原星文館、1943年、410頁。 明史 巻323 列伝第211外国4• 宮古5市町村合併推進協議会. 2020年3月6日閲覧。 宮古新報. 2013年4月12日. 気象庁. 2020年3月7日閲覧。 宮古土地改良区. 2020年3月7日閲覧。 目崎茂和『南島の地形 沖縄の風景を読む』pp. 106、沖縄出版、1988年• 他編『日本の地形 7 九州・南西諸島』pp. 256、東京大学出版会、2001年、• 平良市史編さん委員会編『平良市史第1巻通史編1先史-近代編』pp. 9、平良市役所、1979年• 佐々木喜一 2005 、「」 農業氣象 2005年 61巻 1号 p. 77-81, :• - 宮古島地方気象台• デジタル大辞泉プラス,日本大百科全書 ニッポニカ ,世界大百科事典内言及. コトバンク. 2020年4月6日閲覧。 2001年12月12日. の2009年7月19日時点におけるアーカイブ。 2008年8月10日閲覧。 『』 PDF 環境省那覇自然環境事務所、2016年3月。 太田英利・高橋亮雄「琉球列島及び周辺島嶼の陸生脊椎動物相 -特徴とその成り立ち-」『美ら島の自然史 サンゴ礁島嶼系の生物多様性』琉球大学21世紀COEプログラム編集委員会編、東海大学出版会発行、2006年、2-15頁、• 安谷屋昭「 」 『平良市総合博物館紀要』第8号、平良市総合博物館、2001年3月、 37-52頁。 矢崎清貫「 」 『地質ニュース』第264号、実業公報社、1976年8月、 41-51頁。 宮古島キッズネット. 2020年3月7日閲覧。 宮古毎日新聞. 2018年12月21日. 宮古毎日新聞. 2019年4月27日. 宮古新報. 2013年1月17日. 琉球新報. 2013年1月13日. の2020年3月7日時点におけるアーカイブ。 仲宗根 將二(宮古郷土史研究会 会長、平良市史編さん委員会 委員長)『国内最古の石橋 池田矼(橋)』• 平良市史1-通史編1[1979:171-177]• 宮古毎日新聞. 2019年5月25日. 一般戦災死没者の追悼. 総務省. 2019年7月25日閲覧。 『沖縄宮古島戦記』 藤井正道 著• 川田桂 『人間環境学研究』 8巻2号、133-145頁、2010年12月29日。 仲宗根将二『宮古風土記』ひるぎ社、1988年。 産経ニュース. 2019年3月26日. - Japan Business Press (2010年4月20日号掲載)• 日本経済新聞. 2017年3月2日閲覧。 日本経済新聞. 2013年5月8日. 産経ニュース. 2016年12月28日. の2017年2月26日時点におけるアーカイブ。 2017年3月14日閲覧。 宮古毎日新聞. 2012年8月25日• 宮古毎日新聞. 2012年5月13日. 産経ニュース. 2017年11月4日. 2018年6月10日閲覧。 宮古テレビ株式会社. 2019年2月9日閲覧。 FMみやこ. 2019年2月9日閲覧。 沖縄タイムス. 2019年6月12日. の2019年6月23日時点におけるアーカイブ。 関連項目 ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。 (御通り)• 外部リンク オープンストリートマップに があります。 (公式サイト)• - 宮古島市役所観光課• - 宮古島観光協会• - DOR39(沖縄39離島観光情報サイト)• - おきなわ物語(沖縄観光コンベンションビューロー)• - リトハク(沖縄観光コンベンションビューロー)• (1975年 カラー 27分48秒) -.

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クチコミ 0件• 1,179,306アクセス• ピレウス港から110海里(約200k),朝11時に出航したブルーモナークは夕方5時過ぎた頃ミコノス島に到着する。 エーゲ海の中央に56もの島で輪(ギリシャ語でキクロス)を描くように並んでいるのがキクラデス諸島。 その中心にあるのが南北5k、東西1. 3kの小さな島デロス。 紀元前1,000期にはイオニア人が入植し、アポロ信仰のもとに栄えていたという。 ギリシャ神話ではアポロ誕生の地。 紀元前480年、古代ギリシャはペルシャ軍を破ったが、それを機に小アジアやエーゲ海の島々を糾合し、ペルシャ軍に備えて結成したのが有名な「デロス同盟」。 そのすぐ隣の北東部にミコノス島は「エーゲ海の白い宝石」といわれるその美しい姿を見せる。 しかしミコノス島の歴史は新しく、最初の旅行者は1950年代に考古学の立場からデロス島に行く途中にたまたまこの島を訪れた人びとであったという。 いまやこの島はエーゲ海の観光地の象徴。 この日もリトルヴェニスや風車のあるカトミリの丘は大勢の人がひしめいており、我々観光客をペリカンのペドロが迎え、愛想を振りまいていた。 この旅行のルートマップ、旅行日誌、メニューリストと写真等の詳細は下記 をご覧下さい。 逆光のエーゲ海に浮かぶアポロンの生誕地デロス島。 ミコノス島から約20km、船で30分ほどの位置にあります。 ゼウスに見初めれた従姉妹レトは身ごもり、それを知ったゼウスの正妻ヘラは、全ての神に対しレトに出産する場所を提供してはならぬとお達しを出した。 やむを得ずレトは浮島のデロス島で難産の末、双子の子、姉と弟を出産。 姉は月の女神アルテミス、弟が太陽神で、ギリシャ神話にはか欠かせないアポロン。 アポロンが生まれると(出産に立ち会った女神たち)は歓声を上げ、大地は微笑み、天空には白鳥がめぐった。 (ウイキペディアより抜粋) 父親ゼウスは海に潜り、浮島が出産中揺れ動かないよう支え続けた。 ゼウスもいいとこあるじゃん・・・• 処女の女神アルテミス 太陽神アポロンと双子だが、先に生まれたため姉であるアルテミスは至って早熟な女神で、生まれて間もなく、次に生まれてくるアポロンの難産を見かねて、母親レトの出産を助けたと言われ、その縁か豊饒、出産の女神と崇められている。 だが本人は一生独身で、純潔とか処女の女神とも言われる。 一方で狩猟、や弓の神様といわれ森を駆けずり回っていたらしい。 そのアルテミスも1度だけ恋をした。 相手はポセイドンの息子オリオン。 しかしこの恋はアポロンの策略によって実らなかった。 アルテミスは日頃この恋に反対だったアポロンより仕掛けられた弓の競争で、アポロの策略でサソリに追われて海を泳いでいたオリオンを弓の的の大木だと思い込まされ、射殺してしまう。 嘆き悲しんだアルテミスは、父ゼウスにオリオンをいつでも見られるように空に上げてくれと頼みこんだ。 オリオン座はゼウスがこの頼みを聞き入れた結果。 星座になったオリオンを空まで執拗に追う星がサソリ座。

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