池田 聡 モノクローム ヴィーナス。 モノクローム・ヴィーナス

「モノクローム・ヴィーナス」池田聡(昭和61年)

池田 聡 モノクローム ヴィーナス

伸びやかで透き通っている一方で、どこか哀愁を感じるような、それでいて親しみやすい歌、というのが池田聡の歌の特徴です。 そんな池田聡の歌が世に知れることとなったのは、1986年です。 オリコンランキングでは常に上位を当時のアイドルグループ・おニャン子クラブが独占しており、一方で他のアイドルとは一線を画し、少しクールなアイドルだった中森明菜が「DISERE -情熱-」でレコード大賞を受賞。 また一方では安全地帯やチェッカーズ、レベッカなどバンド勢も音楽シーンを盛り上げていました。 そんなバラエティに富んだ音楽性の時代に、池田聡はデビューすることとなりました。 きっかけは、一本のデモテープです。 デビューの前年、当時日本大学理工学部に在学していた池田聡は、大学の留年が決定。 そして自身のバンドも解散と、絶望の淵に立たされた彼は当初、音楽を諦めて家業を継ごうと思っていたそうです。 しかし、その運命を一本のデモテープが変えることとなるのです。 池田聡が明かす「モノクローム・ヴィーナス」誕生秘話とは? 芸能事務所から「お前の歌、いいらしいな。 デビュー曲を作成する過程では、作詞家より「君は恋愛が成就するような声をしていない。 フラれる男の美学。 そういう詞がいい」と言われ、出来上がった歌詞が、1986年8月5日にリリースされた「モノクローム・ヴィーナス」です。 別れてもなお彼女を思う男性の心情があふれる歌詞と、池田聡の伸びやかで憂いを帯びた歌声がマッチし、デビュー1曲目から大ヒット曲となりました。 池田聡は当時の歌を今聴くと、とても下手だと語っています。 しかし一方でレコーディングでは何度もダメ出しをされて100回近く歌うこととなり、与えられたハードルを越えたいという強い思いも、歌声に現れているそうです。 本人はその必死さがヒットにつながったのではないかと語っていました。 そのようの過程を経て作成された池田聡のデビュー曲「モノクローム・ヴィーナス」はCMソングに起用されたこともあり、久米宏と黒柳徹子の司会で人気を博したランキング番組「ザ・ベストテン」に、6週連続でランクインするヒット。 地元・栃木県烏山町では、朝にランクインを知らせる町内放送が流れるなど、街をあげた応援で大変な盛り上がりを見せたのだとか。 池田聡が レコード大賞で 金賞受賞!俳優デビューも 鮮烈なデビューを果たした池田聡の快進撃は、とどまることを知りません。 デビューから1年後の1987年4月21日、3枚目のシングル「濡れた髪のlonely」でレコード大賞金賞を受賞しました。 また、1986年11月5日リリースのファーストアルバム「missing」も優秀アルバム賞を受賞しています。 当時のレコード大賞受賞者を見ると、大賞は近藤真彦、ベストアーチスト賞に少年隊の他、長渕剛、五木ひろし、石川さゆりなど、現在でも人気を博している歌手たちが勢ぞろいしています。 その中で、デビューからわずか1年の歌手がレコード大賞金賞を受賞するなんてすごいことですね。 そこから活動の幅を広げていった池田聡は順調にヒット曲を連発。 1994年には同世代の中西圭三、伊秩弘将、吉岡忍とユニット「ICE BOX」を結成し、シングル「冷たいキス」をリリース。 翌1995年も伊勢正三と「IS」というユニット組んだりと、多くの企画ユニットに参加します。 また、1993年7月から放送されたドラマ「ポケベルが鳴らなくて」に緒形拳演じる主人公の息子役で出演し、俳優デビューも果たしました。 同作の企画は、音楽プロデューサーの秋元康、演出は数々の人気作品を手掛けている堤幸彦です。 注目度の高いドラマに出演したということから、当時の人気ぶりがうかがえますね。 池田聡はブラジリアン柔術でかなりの実力者?過去には怪我も? 歌手に俳優とアーティスティックな才能が光る池田聡ですが、実はフィジカル面も強いのです。 趣味で始めたブラジリアン柔術では、紫帯とかなりの実力者。 過去には総合格闘技のチャンピオンとのスパークリングで左腕に関節技をかけられ、力こぶがブラブラと垂れ下がることに。 すぐに医者に診てもらい大事には至らなかったそうですが、それを話のネタにできるほど、ブラジリアン柔術に熱中していることがわかりますね。 2020年の誕生日には57歳になる池田聡ですが、普段から身体を動かしているからか、現在もタイトなスケジュールでツアーを行っています。 「ぶらりツアー」と題して全国を回るライブツアーや、ファンからのリクエストでセットリストが構成されるリクエストライブが人気で、2020年1月19日に神奈川県の三浦海岸で開催する「オールリクエスト LIVE 三浦海岸」など、チケットがsold outになっている会場が見られるほどです。 公式サイト内のブログで「『always and forever ~いつも そして いつまでも~』僕の音楽はそうあって欲しい。 いつも そして いつまでも、人の心に寄り添う音楽を作りたい」と、自身の曲作りについて綴っている池田聡。 これからも多くの人の心に深く染み入るような曲を聴かせてくれることでしょう。

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モノクローム・ヴィーナスの歌詞・楽曲情報

池田 聡 モノクローム ヴィーナス

この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2018年2月) (現)出身。 ・卒業。 身長174cm。 に『』でデビュー。 デビュー曲でありながらCMソングとして使われたことも手伝って「」に6週ランクインするヒットとなった。 このヒットにより出身の烏山町では町を挙げた応援と大変な盛り上がりとなった。 、「ザ・ベストテン」にランクインすることも多く、以後1980年代にCMソングを中心にヒットを飛ばす。 、において3枚目のシングル『濡れた髪のlonely』で金賞を受賞。 またデビューアルバムとなった『missing』も優秀アルバム賞を受賞する。 にも『思い出さない夜はないだろう』(系ドラマ「」主題歌)などヒットを飛ばした他、・・とのユニット「」でのシングル『』や、とのユニット『IS』など多くの企画ユニットに参加している。 「」(、日本テレビ系)で俳優デビューもしている。 また、趣味から始めたは紫帯 とかなりの実力(日本 ブラジリアン柔術連盟(BJJFJ)によると、青帯から 紫帯の最短昇格年数は2年とされており、白帯の期間を含むと計算上、3年弱で 紫帯が取れるとのことです。 ただし、柔道の初段は柔術の青帯を取るより簡単だと言われるくらい厳しいものだといわれております。 ) 10月より、北海道のにて『池田聡のアコースティックウェイブ』を放送。 好評のため、当初予定の放送期間が半年だったのにもかかわらず、翌年の9月まで延びた。 この頃から、札幌ほか、北海道のライブには男性のファンの姿も見え始めた。 に入っても、北海道各地でのライヴが開催されている。 同年、、と共に、「L. 」を結成。 6月14日に、アルバム「FOLKLORE」をリリースした。 8月にはデビュー20周年を迎え、大阪、名古屋、東京のライヴも好評で、精力的に活動。 7月の終わりから9月にかけては、2006年秋に出演した舞台の演出から結成されたおじさんパンクバンド「 アポロ・ボーイズ」として40日間、全国をライヴ活動をしながら旅を続けていた。 同年秋からは、毎回各地で好評なギター1本でライヴする「ぶらりツアー」も企画。 同年10月からは、「ぶらりツアー」が、福岡、岡山、富山、金沢、札幌、小樽、旭川などで開催。 2017年8月3日、赤坂BLITZにて30周年最後を飾るサマーコンサートを開催。 ディスコグラフィ [ ] シングル [ ]• WHY DO YOU WEEP? 僕を呼ぶ声(2009年3月25日発売、のアルバム『i Meets... 12人のヴァイオリニスト』に収録。 12人のヴァイオリニスト feat. 池田聡名義)• 愛がそばにあるうちに(2009年11月18日発売、のアルバム『ザ・デュエット 〜7物語』に収録。 叶正子 feat. 池田聡名義)• ハレルヤ(2014年9月10日発売、のアルバム『Sing with Me -episode 1-』に収録。 沢田知可子 with 池田聡名義) ビデオ [ ]• コンセール 1988• KISS ME 1989• 「雫」(作曲:/発売アルバム『Stray Cat』に収録) 作曲 [ ]• 「La La私」(作詞:/発売アルバム『シティ・キャッツ』に収録)• 「夢の鏡」(作詞:/発売アルバム『SEAN』に収録)• 「愛がそばにあるうちに」(作詞:/発売アルバム『ザ・デュエット〜7物語』に収録) 作詞・作曲 [ ]• 「幸せになりなさい」(発売アルバム『Mature Voice』に収録) 出演 [ ] ラジオ [ ]• 池田聡のアコースティックウェイブ(2004年10月 - 2005年9月、)• 「熱唱!麻布台歌謡劇場」(2009年1月15日、 ゲスト)• くず哲也のオトナの情報マガジン シーズンIV. 「オトナのミュージックタイム」(2011年2月24日、ゲスト)• 池田聡の「always and forever」(2013年5月5日- ) テレビドラマ [ ]• (1993年) - 水谷和也 役• (系)• (日本テレビ系)• (系、1986年12月10日初登場) など多数 受賞歴 [ ]• () - 金賞(大賞ノミネート作品)。 優秀アルバム賞。 金賞は「濡れた髪のLonely」、優秀アルバム賞は『missing』がそれぞれ受賞した。 池田の楽曲をカバーした歌手 [ ]• - 「月の舟」• - 「月の舟」• - 「月の舟」• - 「マリッジ」• - 「悲しみにキリがない」• - 「モノクローム・ヴィーナス」• - 広東語カバー「濡れた髪のLonely」 広東語題「Lonely」 ,「j. y」 広東語題「妬忌」 ,「Night」 広東語題「回來吧」 ,「My memories」 広東語題「甜蜜的回憶」• - 広東語カバー「月の舟」 広東語題「夢醒時分」 ,「僕は君じゃない」 広東語題「從頭開始」• - 広東語カバー「濡れた髪のLonely」 広東語題「Lonely」• - 広東語カバー「砂丘~ハイヌーン・ロマンス~」 広東語題「爲何・如何• 産経新聞社. 2015年12月6日閲覧。 日本コロムビア. 2015年12月6日閲覧。 外部リンク [ ]• - (2008年2月7日アーカイブ分)•

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池田聡 モノクローム・ヴィーナス 歌詞&動画視聴

池田 聡 モノクローム ヴィーナス

伸びやかで透き通っている一方で、どこか哀愁を感じるような、それでいて親しみやすい歌、というのが池田聡の歌の特徴です。 そんな池田聡の歌が世に知れることとなったのは、1986年です。 オリコンランキングでは常に上位を当時のアイドルグループ・おニャン子クラブが独占しており、一方で他のアイドルとは一線を画し、少しクールなアイドルだった中森明菜が「DISERE -情熱-」でレコード大賞を受賞。 また一方では安全地帯やチェッカーズ、レベッカなどバンド勢も音楽シーンを盛り上げていました。 そんなバラエティに富んだ音楽性の時代に、池田聡はデビューすることとなりました。 きっかけは、一本のデモテープです。 デビューの前年、当時日本大学理工学部に在学していた池田聡は、大学の留年が決定。 そして自身のバンドも解散と、絶望の淵に立たされた彼は当初、音楽を諦めて家業を継ごうと思っていたそうです。 しかし、その運命を一本のデモテープが変えることとなるのです。 池田聡が明かす「モノクローム・ヴィーナス」誕生秘話とは? 芸能事務所から「お前の歌、いいらしいな。 デビュー曲を作成する過程では、作詞家より「君は恋愛が成就するような声をしていない。 フラれる男の美学。 そういう詞がいい」と言われ、出来上がった歌詞が、1986年8月5日にリリースされた「モノクローム・ヴィーナス」です。 別れてもなお彼女を思う男性の心情があふれる歌詞と、池田聡の伸びやかで憂いを帯びた歌声がマッチし、デビュー1曲目から大ヒット曲となりました。 池田聡は当時の歌を今聴くと、とても下手だと語っています。 しかし一方でレコーディングでは何度もダメ出しをされて100回近く歌うこととなり、与えられたハードルを越えたいという強い思いも、歌声に現れているそうです。 本人はその必死さがヒットにつながったのではないかと語っていました。 そのようの過程を経て作成された池田聡のデビュー曲「モノクローム・ヴィーナス」はCMソングに起用されたこともあり、久米宏と黒柳徹子の司会で人気を博したランキング番組「ザ・ベストテン」に、6週連続でランクインするヒット。 地元・栃木県烏山町では、朝にランクインを知らせる町内放送が流れるなど、街をあげた応援で大変な盛り上がりを見せたのだとか。 池田聡が レコード大賞で 金賞受賞!俳優デビューも 鮮烈なデビューを果たした池田聡の快進撃は、とどまることを知りません。 デビューから1年後の1987年4月21日、3枚目のシングル「濡れた髪のlonely」でレコード大賞金賞を受賞しました。 また、1986年11月5日リリースのファーストアルバム「missing」も優秀アルバム賞を受賞しています。 当時のレコード大賞受賞者を見ると、大賞は近藤真彦、ベストアーチスト賞に少年隊の他、長渕剛、五木ひろし、石川さゆりなど、現在でも人気を博している歌手たちが勢ぞろいしています。 その中で、デビューからわずか1年の歌手がレコード大賞金賞を受賞するなんてすごいことですね。 そこから活動の幅を広げていった池田聡は順調にヒット曲を連発。 1994年には同世代の中西圭三、伊秩弘将、吉岡忍とユニット「ICE BOX」を結成し、シングル「冷たいキス」をリリース。 翌1995年も伊勢正三と「IS」というユニット組んだりと、多くの企画ユニットに参加します。 また、1993年7月から放送されたドラマ「ポケベルが鳴らなくて」に緒形拳演じる主人公の息子役で出演し、俳優デビューも果たしました。 同作の企画は、音楽プロデューサーの秋元康、演出は数々の人気作品を手掛けている堤幸彦です。 注目度の高いドラマに出演したということから、当時の人気ぶりがうかがえますね。 池田聡はブラジリアン柔術でかなりの実力者?過去には怪我も? 歌手に俳優とアーティスティックな才能が光る池田聡ですが、実はフィジカル面も強いのです。 趣味で始めたブラジリアン柔術では、紫帯とかなりの実力者。 過去には総合格闘技のチャンピオンとのスパークリングで左腕に関節技をかけられ、力こぶがブラブラと垂れ下がることに。 すぐに医者に診てもらい大事には至らなかったそうですが、それを話のネタにできるほど、ブラジリアン柔術に熱中していることがわかりますね。 2020年の誕生日には57歳になる池田聡ですが、普段から身体を動かしているからか、現在もタイトなスケジュールでツアーを行っています。 「ぶらりツアー」と題して全国を回るライブツアーや、ファンからのリクエストでセットリストが構成されるリクエストライブが人気で、2020年1月19日に神奈川県の三浦海岸で開催する「オールリクエスト LIVE 三浦海岸」など、チケットがsold outになっている会場が見られるほどです。 公式サイト内のブログで「『always and forever ~いつも そして いつまでも~』僕の音楽はそうあって欲しい。 いつも そして いつまでも、人の心に寄り添う音楽を作りたい」と、自身の曲作りについて綴っている池田聡。 これからも多くの人の心に深く染み入るような曲を聴かせてくれることでしょう。

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