コロナ 疲弊。 コロナ禍で疲弊するケアラーの姿に見える障害者福祉の「家族依存」(後編)(児玉真美)|大月書店|note

コロナ「断捨離」に、清掃現場が感じることは 増える「ゴミ」に疲弊...編集部に届いたメール: J

コロナ 疲弊

はじめに コロナウイルスが世界を席巻するなかで、この災禍が国家や社会のあり方にどのような影響を与えているのかについて、色々な意見が出されている。 たしかにヨーロッパでは、コロナ対策におけるEUの役割はよく見えず、個々の国家が前面に出ている。 それ以外の地域でも、国家が対策の中心にいることは間違いない。 だが、私は、国民国家の再浮上と留保なしにいうことにはためらいがある。 まず、より適切な用語はないのだろうか。 だとすれば、国民国家の再浮上は、主権国家の再浮上としても論じることができよう。 たしかに、国民国家も主権国家も現代国家の一側面に過ぎないから、どちらに着目するかは論者の関心による。 だが、国民国家の側に関心を寄せるとしても、なお私のためらいは消えない。 というのは、そもそも今日の世界にあって、国民国家はその再浮上について語りうるほどに堅固な存在であるのかどうか、疑問だからである。 むしろコロナ禍のなかで、各地の国民国家はその脆弱さを露わにしたのではないだろうか。 以下、本稿では、コロナウイルス禍が照らし出した、今日の国民国家の弱さについて考えてみたい。 まずは、国民国家とはいかなる国家であり、どのようにして形成されてきたのかについて、振り返ってみよう。 国民国家とはいかなる国家か 国民国家が現実に成立するのは、18世紀末のフランス革命によってである。 それ以前の身分制秩序においては、住民は同じ国に住んでいても、様々な身分に分かれていた。 どの身分に所属するかは出生によって決まり(異なる身分に移動する道も開かれていたが)、それぞれの身分は独自の義務や権利をもっていた。 これに対して国民国家では、住民はみな同じ義務と権利をもつ、対等な市民となった。 こうした市民の総体が、国民(ネイション)を構成するのである。 国民国家では能力があれば、あるいは努力を重ねれば、どのような出自のものにも社会的上昇を果たす可能性が開けていた。 そのため国民国家は、住民一人ひとりの能力を引き出すのに適していた。 また、各人の国家への帰属意識も強まったから、団結力も増した。 このような利点があったために、国民国家は19世紀中に西欧において、またその外でも、次第に広まっていった。 身分制は必ずしも廃止されたわけではなかったが、住民各人の義務と権利が、次第に均一なものに近づいていったのである。 はじめのうち、「市民」となれるものは一定の資産をもつ男性に限られていたが、徐々に資産制限は緩和された。 他方、女性や少数民族、それに植民地の現地人が、法的に対等な市民として認められるためには、第一次世界大戦(1914-1918)後、あるいは第二次世界大戦(1939-1945)後を待たねばならなかった。 国民国家は19世紀中に西欧でまず広まり、ついで日本など他地域にも波及した。 西欧諸国が先導的な役割を果たしたのは、資力や教養などに裏打ちされた社会的発言力をもち、それゆえ身分制にも批判的であった階層が、他地域に比べて厚く存在していたからである。 都市の有産層にくわえて、企業心や公徳心に富んだ地主や富農もここに含まれる。 西欧諸国において彼らは、フランス革命に先行する時期からクラブや協会のような結社に集い、地域社会で目立った役割を果たしていた。 行政側の官吏と対立するとは限らず、血縁や姻戚、社交を通じて結びついていることが珍しくなかった。 それでもこの有産層・教養層は、行政機構に対して自立的であり、批評的・批判的に接した。 彼らは18世紀から19世紀の西欧諸国において、行政機構に対して自立的な「公共圏」また「市民社会」と呼ばれる領域を成立させた。 こうした領域が、「国民国家」の核となった。 他方で行政機構もまた、とくに19世紀後半以降、初等教育の確立、公的サービスの提供、徴兵制の整備、諸儀礼の挙行などを通じて、国民国家の形を整えていった。 西欧諸国、またアメリカ合衆国では、自立的な「市民社会」と行政機構とが両輪となって、国民国家を成り立たせていった。 ソ連と日本 20世紀初頭までに西欧諸国が国民国家化し、動員力を高め、世界秩序の中心としての地位をいっそう固めていったのに対して、それ以外の地域は劣勢に立たされた。 植民地になりたくなければ、西欧の国民国家モデルを多かれ少なかれ取り入れることが必須となった。 日本、また、私の研究対象であるロシア帝国・ソ連は、劣勢の側にいた。 一般的にいって、この劣勢側の国々は、自立的な「市民社会」を西欧諸国のような規模や密度ではもっておらず、それゆえ国民国家づくりにおいては行政機構が主導的な役割を果たすこととなった。 これらの国々では、緩慢に歩を進めていれば西欧諸国ないしアメリカ合衆国の犠牲となりかねなかったから、行政的手法により重点をおいて、急ピッチで国民国家の形成を進めなければならなかった。 ロシア帝国では、皇帝の権力が強大で、身分制が堅固に残り、生活水準や文化が大きく異なる多数の民族が暮らしていたので、国民国家づくりは試行錯誤の段階までしか進まなかった。 有産層・教養層からなる「公共圏」に類するものは脆弱で、自立的であるよりは、行政機構によって活動の場をつくられていた(たとえば学術団体や地方自治体など)。 1917年の革命をへて成立した共産党政権は、脆弱なロシアの「公共圏」を滅ぼし、かわりに労働者や農民から新しい「ソヴィエト市民」をつくることになった。 このとき共産党政権は、それと自覚せぬままに国民国家づくりの課題を帝政政府から引き継いでいたのである。 もとより政権から自立的な市民、また「市民社会」の存在は、想定も許容もされておらず、ソ連版国民国家の形成は上から、行政的手法によって主導された。 共産党政権はまた、主要な諸民族のために共和国や自治共和国を創出し、それぞれの言葉や文化の振興を行なった。 しかし、全ての住民はソヴィエト市民として対等であった。 日本では、18世紀ヨーロッパの「公共圏」に直接に相当するものを徳川時代に見出すことは難しいだろう。 しかし、各藩の藩校では多様な人材が育成され、藩を超えた全国的な知的ネットワークを築いていた。 彼らは「公共圏」「市民社会」の原基となりうる集団であった。 欧米列強の脅威に晒された明治維新前後の日本では、国民国家づくりはロシア帝国・ソ連以上に強く、かつ明確に、焦眉の課題であると認識された。 それゆえ、明治政府は行政機構主導で、上からの国民国家づくりを強力に推進した。 他方、旧士族や都市知識人などからなる自由民権運動は、「公共圏」「市民社会」の出発点となったといってよかろう。 総じて、明治期日本の政府・行政機構と「市民社会」とは、欧米列強のプレッシャーのもと、近代化また富国強兵が焦眉の課題であるという認識を共有していた。 このことは、必ずしも「市民社会」の批判性を低減させたとはいえないだろうが、行政機構の主導性を促すように作用したと思われる。 その後も、日本の国民国家づくりにおいては、行政機構の役割は減らなかった。 昭和前期にかけては、社会工学的な発想を身に着けた官僚たちが、内務省をはじめとする諸官庁において、牧民官のごとく振舞った。 第二次世界大戦後も、自由民主党政権と行政機構とはタンデムとなって経済成長を推し進め、経済的繁栄とナショナル・アイデンティティとを結びつけることに成功した。 ただし、「市民社会」のオピニオンリーダーであった大学教員やマスメディア関係者の間では、階級を基準に考えるマルクス主義の影響が強かった。 その結果、国民の境界線をどこに引くかなど、国民国家の実質をどう満たしていくかをめぐる議論は低調となったように見える。 同様に、彼らの間で反戦・平和主義が盛んであったことは、国民国家をどう防衛するかというテーマでの議論を難しくした。 国民国家づくりにおいて行政機構が主導的な役割を果たすという、ソ連や日本において見られた傾向は、西欧諸国やアメリカ合衆国を除けば、世界各地で広く見られた現象であったといえる。 むしろ、自立的な「市民社会」と行政機構とが二本柱となった西欧諸国やアメリカは、先進地域であるがゆえの例外であった。 グローバリズムと新自由主義の影響 1980年代以降、国民国家のあり方は大きく変容し始めた。 グローバリズム、および、それと密接に結びついた新自由主義が、国民国家の相貌を変えていったのである。 変化がより顕著に現れたのは、西欧諸国およびアメリカ合衆国であった。 それまでもこれらの国々には多くの移民や外国人労働者が到来していたが、その規模はさらに拡大した。 のみならず、移住先の多数派の規範を受け入れることを、必ずしも前提としない集団も増加した。 たとえば政教分離を規範とする国において、信仰と社会生活が密接に結びついた人々が、自分たちの価値体系を変えないままに行動するといった事例が広く見られるようになった。 これに対して西欧諸国やアメリカ合衆国の「市民社会」を主導する知的・社会的なエリートは、マルチカルチュラリズム(多文化主義)をもって対応し(1970年代から、植民地支配への反省もあり、市民の構成における多様性を尊重しようとする動向が生まれていた)、国民国家の規範が多元化することに融和的な姿勢を示した。 このことは、それぞれの国民国家の内部で、共生社会への道を開く可能性をもつとともに、文化間の衝突を抱え込む可能性ももたらした。 他方、1980年代を境にして、西欧諸国やアメリカ合衆国では、それまでの1世代にわたって有力であった社会民主主義ないし福祉国家的傾向から、新自由主義への転換が起こった。 行政機構の簡素化が目指されたが、それは必ずしも国民国家における「市民社会」の役割の増大をもたらすとは限らなかった(別次元の問題として、EUは行政機構の肥大化が常に問題となっている)。 むしろ、公立の学校・図書館・劇場・博物館・美術館など、「市民社会」にとってのインフラが切り崩された。 さらに、新自由主義のもとで規制緩和が進むと、少なからぬ労働者の雇用条件が悪化し、社会格差が拡大した。 新自由主義はこうした状況を現出させただけではなく、それを肯定するイデオロギーでもあったため、国民国家の内部で格差の断裂線が深まっていった。 ソ連の崩壊自体は、軍拡競争のプレッシャーを発端としていたから、グローバリズムや新自由主義によって直接に引き起こされたわけではない。 もとより、ソ連の崩壊は、これらの趨勢やイデオロギーに勢いを与えた。 また、ロシアをはじめとする旧ソ連継承諸国でも、長期的・短期的に流入する外国人の数は著しく増えた。 かつ、これらの国々では外国への移住者や出稼ぎに出るものが増加した。 しかし、旧ソ連諸国、とくにロシアは、政府も社会も全体としてより保守的であり、移民の受け入れとそれによる国民国家の構成の変化を積極的に是認するイデオロギー、すなわち多文化主義を掲げることはなかった。 それゆえ、西欧諸国やアメリカ合衆国と比べたとき、ロシアでは国民国家の理想像は均質性を保ち続けた(もとより民族的には多民族国家であるのだが、諸民族がロシア市民としての規範を共有するという意味での均質性である)。 他方で、ロシアをはじめとする旧ソ連諸国では、ソ連崩壊前後からの新自由主義の影響は、西欧諸国やアメリカ合衆国以上に激しかった。 行政機構は混乱のなかで機能を低下させ、公的セクターの民営化がなしくずしに進み、「市民社会」の土壌となるべきインフラは著しく切り詰められた。 国民内部での経済格差も深刻なものとなった。 その後、21世紀を迎える頃から揺り戻しが強まり、行政機構の役割がふたたび拡大した。 脆弱な「市民社会」は、行政機構の庇護ないし監督下におかれるにいたった。 日本では、外国人労働者の増加を前にして、多文化主義が掲げられなかった点は、ロシアと似ていた。 他方、新自由主義が「市民社会」のインフラを切り崩し、社会格差を深刻化させた点は、日本が西欧・アメリカ、旧ソ連と共有する現象である。 日本でも西欧諸国・アメリカでも、「市民社会」のインフラが切り崩され、国民の多くが経済的に疲弊したことの裏面として、行政機構は結局のところ、社会生活の要所においてかえって存在感を発揮している場合もある。 日本ではこのことはとくに、新自由主義に適合した緊縮財政路線をとる財務省に当てはまる。 もとより、「市民社会」のインフラの縮小を、官僚や政治家の責任にのみ帰すことはできない。 規制緩和や民営化を支持することで、私たちみなが、そうした趨勢を後押ししていたのであった。 コロナウイルス禍と国民国家の現在 2020年のコロナウイルス禍は、各国の国民国家がこのような状況にあるなかで起こった。 地域のいかんを問わず、それは新自由主義のもとで疲弊し、断裂線の走った国民国家なのである。 西欧諸国(あるいはヨーロッパ諸国)とアメリカ合衆国では、「市民社会」は医療関係者の努力に端的に見られるように、総力でコロナ禍に対峙している。 しかし、新自由主義によって「市民社会」がやせ細ったものとなっていたことは、イタリアの医療事情の逼迫に集約的に現れている。 くわえて、多文化主義の称揚というこれまでの「市民社会」のあり方が、コロナ禍のなかでどうなるかもはっきりしない。 外出制限のもと、移民や出稼ぎ労働者は言語や習慣の障壁もあって、孤立した困難な生活を強いられていることが多い。 たしかに、外国語話者を支援する動きも見られる。 だが、移民集団が、国民国家の多数派住民による生活習慣上の規範(衛生面を含む)に従わない場合、どう遇されることになるのか、展望は不透明である。 旧ソ連諸国、とくにロシアでは、行政機構がコロナ禍に全面的に対応している。 もとより脆弱な「市民社会」の側も、医療関係者をはじめとして献身的な対応を行なっている。 しかし、新自由主義下で増加した移民は、ここでも問題を提起している。 これはとくにウクライナについていえることで、焦点となっているのは国内にいる移民以上に、国外にいる出稼ぎ労働者である。 出稼ぎ先で失業した彼らは故国を目指して戻ってくるが、感染リスクも含めて、彼らを同胞として受け入れる余地は広くはないのである。 とりわけ医療関係者の努力には頭が下がる。 総じて、自制的に行動することで私たち一人ひとりが、「市民社会」によるコロナ禍への対応を支えているのである。 しかし、新自由主義が日本の国民国家、また「市民社会」に与えた打撃もまた、コロナ禍への対応のなかで照らし出されている。 何よりもまず、医療インフラがこれまで切り詰められてきたことが浮き彫りにされた。 社会格差もまた、あぶり出されている。 たとえばテレワークが可能な職種と、現場でものをつくったり、直したり、配送したりしなければならない職種とでは、晒されているリスクが大きく異なる。 学校閉鎖のもとで、子どもを誰かに預けることができる人と、誰かの子どもを預からねばならない人との差もまた、看過してはいけない。 これらの諸国における事例は、多かれ少なかれ他の地域にも当てはまるといってよいであろう。 今日の世界において、コロナウイルス禍に対峙している国民国家は、様々な点で亀裂や不均衡を抱え込んでいる。 それは、国民国家の形成過程に由来する場合もあれば(旧ソ連諸国における「市民社会」の弱さと行政機構の強さ)、グローバリズムに由来する場合もあれば(西ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国における文化衝突)、新自由主義に由来する場合もある(日本を含む各地域における社会格差や社会的インフラのやせ細り)。 コロナウイルス禍に晒されることで、これらの不均衡や断裂は程度を増し、諸国民国家はそれだけ脆弱さを増しているのである。 このような状況のもと、各国のコロナウイルスへの対応においては、地域を問わず行政機構の役割がより前面に出るということになるだろう。 そもそも、出入国の管理、人員や物資の動員と配置、住民の移動の制限は、国家主権の発動として、行政機構が強力な権限をもって行なうことであろう。 本稿冒頭で、国民国家よりも主権国家の方が適切な言葉ではないのかと疑問を呈したゆえんである。 これに対して、「市民社会」の側はいっそう疲弊し、行政機構への依存を強めていくのだろうか。 そうではなく、国民国家の再浮上は、国境を越えた協力や、ローカルな場でのインフラの建て直しと連動させて、全体としての「公共圏」の再活性化として追求されるべきなのだと指摘する声もある。 この点に関連して想起されるのは、コロナに感染したイギリスのボリス・ジョンソン首相が、自己隔離中に発したビデオ・メッセージのなかで、「コロナウイルス危機がすでに論証したひとつのことは、私の考えでは、社会なるものはたしかに存在するということです」と述べたことである。 ジョンソンのこうした認識を共有して、私たち一人ひとりがコロナ禍に対峙するなかで、「市民社会」の再構築に臨むことが大事なのであろう。 しかし、国民国家の形成であれ、新自由主義のもとでのその変容であれ、いずれも十年単位、あるいは百年単位の、長期にわたる出来事であった。 そうであれば、私たちが取り組むであろう「市民社会」の再構築も、また、それを通じた国民国家のあらたな変容も、数十年単位の長いスパンで考えるべきことなのかもしれない。 知のネットワーク — S Y N O D O S —.

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【淘汰】オンライン講義に教員疲弊 深夜まで準備、試行錯誤 学生「質が低い」の声も

コロナ 疲弊

働く保護者の子どもを預かるため、全国各地で多くの学童保育所が朝から開所を続けている。 人員不足や感染を広げないかという不安を抱えながら働く指導員(放課後児童支援員)の声が多数のメディアに伝えられ、「学童保育にこれほどスポットがあたったことはこれまでなかった」と多くの指導員が口をそろえる。 その一方で、伝えられてない現場の悩みもある。 指導員を疲弊させる「連日の超過勤務」 「学童保育に注目が集まるのはうれしいことですが、同じような報道ばかりで……。 この機会に学童のことをもっと知ってほしい」と、大阪市内の学童保育所で働く30代指導員Aさんから連絡があったのが3月9日。 学童保育と言っても、ひとくくりにできない地域差がある。 例えば保育料ひとつとっても、1カ月5000円程度のところもあれば、2万円を超えるところもある(最近、進出著しい英語学童や習い事系学童を除く)。 そのほか、設置場所、保育内容、指導員の雇用形態などさまざまな違いがあるが、その大本にあるのが運営形態の差だ。 公設公営、公設民営、民設民営と大きく3つに分けられる。 まずAさんの話を聞こう。 「8時から19時半まで開所しています。 長期休み期間中であれば全体の計画を事前に立て、日案というその日ごとの計画も立てていきますが、今回はいきなり朝からの保育になってしまったので、十分な保育ができないというもどかしさを感じています」。 連日の超過勤務もあってか、声に疲れがにじんでいた。 大阪市学童保育連絡協議会が行った調査によれば、回答のあった46施設のうち、最長勤務時間が11時間を超えた施設が7割近くあり、13時間以上という施設も約1割あった。

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【淘汰】オンライン講義に教員疲弊 深夜まで準備、試行錯誤 学生「質が低い」の声も

コロナ 疲弊

高齢化が進む日本では、介護現場も人材がひっ迫して飽和状態に陥ろうとしている。 ロイターはこのほど、日本の介護施設関係者10人以上に話を聞いた。 そこから浮かび上がってきたのは、子どもの休校で出勤できない職員が増えたり、予定していた外国人スタッフの来日が中止になるなどし、入居者に十分なケアを提供できなくなりつつある現場の苦悩だった。 27歳の女性職員が働く東京のある特別養護老人ホームでは、おむつが汚れていてもこれまでより長く放置されるケースが増えている。 「全てに時間がかかってしまうんですよね」と、彼女は言う。 「たとえば食事にいつもより時間がかかることで、トイレの世話が遅れてしまう」 週10時間までなら残業を申請できるが、それではとても足りない状況が続いている。 ある入居者が別の入居者の食べ物に手を出すこともある。 それに「ぎりぎり気づいた」ことが何度もあったと、女性職員は打ち明ける。 <自身が感染するリスク> 65歳以上が人口の約28%を占める日本では、もともと介護従事者の不足は深刻な問題だった。 日本で介護を必要とする人の数は670万人。 そのうち約100万人が施設に入っている。 米国はそれ以上の120万人が入所しているが、総人口は日本の2倍だ。 米国は日本ほど高齢化が進んでおらず、65歳以上が人口に占める割合は16%と、30%近い日本のほぼ半分にすぎない。 日本における介護職の有効求人倍率は今年1月時点で3.95倍と、全職種平均の1.49倍を大きく上回る。 介護施設では入居者3人に対し1人の職員を付けることが法律で義務付けられているが、厚生労働省は2月、新型コロナの影響で職員の不足が見込まれることから、「一時的に人員基準を満たすことができなくなる場合、柔軟な取扱いが可能」との通達を出した。 医療法人社団悠翔会の佐々木淳理事長・診療部長は「介護の現場は、何とか持っているというのが現実。 職員1人が休んだらもう入所者全員に手が回らなくなる」と話す。 「高齢者はデリケートなので、どんな環境の変化にも影響を受けてしまう」。 現在、高齢者介護施設の多くは、新型コロナ感染防止のため、グループで行うゲームや体操を中止している。 3月初めごろからは家族との面会も禁止しており、入居者に精神的、身体的に多大な苦痛を強いている。 佐々木理事長によると、ある男性は家族を探して施設の中を歩き回っていた。 また、前出の女性職員によると、ある入居女性は家族が面会に来ないために娘が死んだと思い込み、葬式の準備を始めようとしたという。 東京に住む金子誠一さんが、施設に入る96歳の父親と最後に会ったのは3月の初め。 施設は入居者が家族と電話で話せるよう努力しているものの、それは職員の仕事がまた1つ増えることを意味する。 施設の職員には自身が感染するリスクもつきまとう。 NHKによると、日本では5月10日までに624人の新型コロナウイルスによる死亡が報告されているが、その約60%が介護施設で確認されたものだった。 職員は、もし家族の誰かが高熱を出せば2週間自宅で待機しなければならない。 勤務中はマスクの着用が義務付けられており、マスクを怖がる入所者もいるという。 厚労省によると、介護施設の職員全てにコロナウイルス感染の有無を調べる検査を行う計画はない。 淑徳大学社会福祉学科の結城康博教授は「このまま6月、7月、8月になれば、職員の数は減り続け、介護サービスを提供できなくなる」と懸念する。 「そうなれば、介護の崩壊となりかねない」。 <1万人の外国人材> 新型コロナ危機の特徴の1つは、人びとの移動が制限されたこと。 外国人材に依存してきた介護現場はその影響をもろに受けている。 日本では現在、約1万人の外国人が老人介護施設で働いている。 大阪の特別養護老人ホームに勤務する34歳のフィリピン国籍の女性は、日本で働きたい人材を3000人ほど集め、随時、募集のためフィリピンへ行く。 4月に新たな人材が来日する予定だったが、新型コロナの影響で取りやめになったという。 「(コロナのせいで)もちろん来られない」と話す彼女が働く施設では、80人程度のスタッフのうち13人が外国人だという。 「仕事はとてもきつい」と彼女は語る。 東京に住む清水富生子さんの両親は、神奈川県川崎市の介護付き有料老人ホームで暮らしている。 清水さんも例外なく、80代の両親と会えない日々が続いている。 「両親にとって家族と話すのが一番元気が出ることだと思うので、そうしてあげたい。 会えないのはとても寂しい」と、清水さんは話す。 母親の久子さんは、筋肉が衰えないようにと毎日施設の中を散歩している。 「また元の日常に戻ってほしいけど、それまでには長い時間がかかると思う」と、久子さんは電話で語った。

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