田中 達也 サッカー。 新潟・田中達也が手袋を外さぬ理由。35歳ドリブラー、情熱と逆襲の予感。

田中達也

田中 達也 サッカー

イメージ先行で語られる選手の中に 田中達也は入るかもしれない ケガが多い選手という印象が 一人歩きしていると田中は言う もっとも過去に大きなケガをしたことは事実 その辛いリハビリの中で田中は何を見つけたのか そして立ち上がったときに見たものは何だったのか 振り返って何を思うのだろうか ケガの後には監督を救うゴールを挙げたこともある 今シーズンの好調ぶりには目を見張るものもある ゆっくり丁寧に話してくれたが 最後の「お勧めの食べ物」のときは「即答」だった。 あの選手に追いつきたいと思っている 自分が苦しかったのは、やはりケガをしたときですね。 大きなケガをしたときは常に苦しいです。 2005年のあたりからケガをするようになってしまいましたけど、長期のケガ、試合に出られないというのが精神的にツライですね。 自分はチームと一歩違うところにいるなっていう感覚が嫌で。 ただ、2005年のケガは、相手のフェアなタックルからだったんです。 たまたま足の位置だったりボールへの入り方で運が悪くて。 相手選手もボールに来てましたし。 フェアだったんで、自分に運がなかっただけです。 ところが、あのあと相手選手やその家族まで非難されたと人から聞いて、すごく胸が痛かったですね。 相手選手は悪くないし、まして家族には関係ないし。 グラウンドでの出来事だし、故意にやったことでもないので。 そういう意味で、何と言うんですか、申し訳ないというのもおかしいですけど、僕以上に苦しんだんじゃないかと。 まだ相手選手に何か言う人がいるって聞いて本当に……ちょっと……。 その選手とはその後も何回か試合をやって、そのたびに僕もあの選手に追いつきたいと思っているんですよ。 すごく実績もあるし、選手としてまだプレーしていらっしゃるし、少しでも追いつきたいという気持ちがあります。 それにケガをした後に出番がなくなったんじゃないんですよ。 確かに僕にはケガがちとか、そういうイメージはついちゃったのかもしれないですけど、試合には出てます。 みんなに支えられてきたんで。 2006年以降も代表にも呼ばれてるんですけどね。 ケガの後も何回か代表に呼んでもらってますから、本当にありがたいですね。 代表は結局、ジーコ監督、イビチャ・オシム監督、岡田武史監督と、3人の監督に選んでもらいました。 そこで出られなかったのは、ケガじゃなくて実力なんじゃないかと思ってます。 そんな中でも、2008年のゴールを憶えてもらってることがあって、「記憶に残るゴールだ」と言ってもらうとうれしいですけどね。 僕、代表では16試合しか出てないんですけど、その中の自分にとって思い出のある1試合でしたね。 その試合って、2010年南アフリカワールドカップのアジア最終予選(4次予選)のカタール戦で、日本は初戦のアウェイ・バーレーン戦に勝ったけど、2戦目のホーム・ウズベキスタン戦に引き分けて。 もうそれだけで次の試合に負けたら岡田監督が解任されるかもって噂に上って。 次の試合がアウェイのカタール戦だったんですけど、カタールはウルグアイから帰化したセバスチャンなんかもいて、いいチームだと言われていました。 でも自分としては勝てる自信があったんですよ。 ただ、カタール戦の前に大学生と試合をやって負けちゃったんです。 そのときは少しやばいなとは思いましたけど(笑)。 スタジアムに着いたら緊張しました。 最終予選でプレッシャーもあって、チームもそういう状況だったし。 絶対勝たなければいけないという試合だったんで。 試合直前、スタンドにどんどん人が入ってきて、カタールの応援がすごかったらしいですね。 でも、僕はは緊張して周りのことなんて憶えてないんです。 プレッシャーで周りが見えなかったので、周りからの圧迫感は感じないですみました。 でもその前にプレッシャーはめっちゃかかっていましたけど(笑)。 そうしたら前半19分、内田篤人のクロスを玉田圭司が触らないで僕のところに流れてきたので、思いっきり蹴ったらGKの股間を抜けて先制点になったんです。 そこから日本は落ち着いて、だいぶ楽に進められたと思います。 やっぱりアウェイで先制点が取れると大きかったし、後半に日本はあと2点取って3-0で勝って、大きな自信になったと思いますね。 特にアウェイだから上出来だったと思います。 個人的にも「やった! 」という気持ちはありました。 代表ではあまりゴールできなかったんですけど、その中でもいいゴールでした。 ただ、僕はケガがあったのにいろんな監督が選んでくれていたんで、もっとゴールしなければいけなかったですね。 長期のケガはサッカーと向き合うための時間 ケガは全部やりましたけどね。 やってないところはないです。 足首、膝、腰、肩……。 肩も肩鎖関節脱臼して。 3回か4回ありますよ。 競り合いの中で自分が相手の服を巻き込んで離せないときに相手が走って行って、引っ張られて脱臼したというのが1回目でした。 どの脱臼も2、3週間ぐらいで復帰してましたけど、繰り返す人は手術するみたいですね。 でも、僕はそのとき足首もケガしてたし、休みたくないって手術しないで保存療法にして、そのままやりました。 腰はヘルニアです。 のときに3、4カ月休んだんですけど、その前にぎっくり腰をやっていて、そのあと大きな腰痛が出たんです。 膝は去年ですね。 半年ぐらいプレーできなくて。 でもでプレーできなかったのは去年だけですよ。 ケガをしてチームから離れて、何カ月か1人でトレーニングをやりますよね。 みんながボールを使ってプレーしているのを見るのが嫌で、リハビリの時間をずらしてもらったこともありました。 トレーナーの人の忙しさにも関係しますけど、リハビリが自分しかいなかったときは、メンタル的にちょっと厳しいときに少し時間をずらしてもらったり。 オフの時もリハビリですし、あとは精神的に休めないですよね。 オフはあるんですけど、気持ちは休まらないというか。 試合に出られるときだったら、しっかり試合に出て勝って、そうやって迎える次の日が休みだったら気分も楽だけど、自分は何もしないまま「明日休みです」っていう状況になっても、何となくメンタル的に休めてないしリラックスできてないし。 だったら練習しようって感じでしたね。 でもそのとき、「サッカー人生は短いから」って、途中からはそう思えるようになりました。 今、ケガして辛くてサッカーできないけど、サッカーと向き合っていられるのは短いのだから、そのためにはこのケガの時間も無駄に出来ないぞって。 長期のケガって、そこで何かを補わなければいけない時間だと思います。 だったら、よりサッカーに向き合えるんじゃないかなって。 なかなか最初はそう思えないですけど。 だけど本当にサッカーを真摯に見つめられる時間だから。 そう思えるようになるのは長期のケガの場合、ケガの程度によっては1カ月とか時間がかかりますけど。 ただ、半年のケガだったらその半年間しっかり向き合えるんです。 どうしてもリハビリのときじゃないと向き合えないこともありますし、ボールは触れないけど、よりサッカーと密接な関係になると思います。 2005年のときは、大きなケガが初めてだったから、気持ちを切り替えるのにやっぱり時間がかかりました。 復帰できるのかなって。 でも実際にボールを触って、痛いけどボールが蹴られるようになって、復帰できて、試合に出てゴールが出来て。 そのときが自信になりましたよね。 ゴールできて、それで「自分はまだまだプロでやれるんだ」って思えて。 そこから何回も長期離脱しましたけど、最初の1回目が自信になったし、ゴールした感覚がもう一回自分を奮い立たせてくれるというか。 ゴールの度に家族が喜んでくれたり、友達だったりサポーターが喜んでくれている姿が頭の中に残っていて、そのためにリハビリをやりましたね。 ケガしてるときって、家族も気を遣いますからね。 やっぱり妻はケガをすると毎回元気なかったですね。 今もです(笑)。 少し肉離れして家に帰ると妻の元気がないんです。 そういう姿は見たくないし、だからいい準備していいケアして、いいトレーニングして。 そうすれば僕も幸せだし、家族も幸せだし。 応援してくれてる人も幸せなんじゃないかなって思います。 2005年のときの経験で、みんなの思いを感じることができたなって思います。 それまでは代表にも入れたり、少し調子に乗っていたのかもしれないけど。 ケガで気づくのもダメなんですけど、でもそれで気づけて、今となったらプラスになったって。 選手としてもそうだし、人としても。 今に役立ってると思います。 だから僕がケガしてチームから離れている選手にアドバイスしてあげるとしたら「ポジティブに捉えてほしい」ということですね。 歳をとってプレースタイルは変わった に来たシーズンは32試合に出場しましたし、そこから出場を重ねて、今年は最初試合に出られてなかったんですけど、みなさんのおかげでサッカーが出来る環境をつくっていただいてます。 のときの背番号は31番、18番、11番をつけていましたけど、に来て最初が9番、そのあとずっと14番です。 僕は帝京高校時代に14番をつけていて、好きな番号なんですよ。 だからずっとつけたいと思ってたんです。 に来たとき、9番よりも14番をつけたかったんですけど、もう選手が決まっていたんです。 2015年シーズンの前に、14番が空いてて、じゃあお願いしますって。 14番って……かっこよくないですか? ヨハン・クライフのイメージもありますし、高校のときにつけたので愛着が元々あったんですけど、14番ってオシャレでかっこいいイメージないですか。 だからどのチームも14番が誰か見てます。 10番じゃなくて。 今のコンディションはいいですね。 矢野貴章との2トップは貴章ががんばって潰れ役をやってくれるので、雰囲気で合わせてます(笑)。 それから体のケアとか準備は、一番大事にしています。 練習も大事ですけど、同じぐらい大事に。 歳を取ると、プレースタイルを変えるというのはあると思うんですよ。 僕も少しずつ変わってます。 やっぱり、ドリブルで抜くんですけど、縦に大きく抜くような回数が減っていて。 1人をキレでググッとかわして、それを何回か繰り返すイメージです。 今はブロックを作ってスペースを消すチームが増えたというのもありますし、今チームがやっている戦術もありますし。 のときはFWで「1人ででも攻めてこい」というイメージでしたけど、現代サッカーはブロックを敷いて1対1でしかけるという場面はないですし、より戦術的になっているというのはありますね。 でも自分というのはキレがないと自分じゃないと思っているので。 最近はずっと大きいケガというのをしてないんですけど、「ケガがち」というイメージだけが先行しちゃってる気がします。 確かに去年はケガしたのでなんとも言えないんですけど、体が整えればまだまだ若い選手には負けたくないという気持ちがあります。 僕たちはまずピッチの上でプレーすることで、監督や仲間の信頼だったり、サポーターの信用を得られると思うので、とにかくプレーすることしか考えてないです。 もしまだ「達也はケガがち」だという印象だったり、そういうイメージを持っている人がいたら、それは僕がもっとピッチでやらなきゃいけないということだし、僕にはそれしかないんです。 どれだけ口で言っても、「だって練習してないじゃん」とか「試合に出てないじゃん」って言われたらそれまでですからね。 そのイメージがあるなら、まだまだやらなきゃいけないなと。 自分もやりたいですし。 まだまだ。 ただ、先は見ないようにしてます。 常に次の試合、次の試合。 明日、明日。 そういう近いところしか今は見てないです。 「明日また練習をしっかり出来ればいい」って、常に思ってます。 先を見ると……やっぱり……見過ぎるとよくない感じがして。 僕より上の世代でやってるみんなのレベルが高いですからね。 ヤット(遠藤保仁)さんとかボンバー(中澤佑二)とか。 だからもっとやんなきゃって。 そういう選手に少しでも追いつけるように頑張っていきたいです。 は「のど黒」や「のっぺ」が美味しい でご飯を食べに行くときはレストランですね。 「えびす鯛」とか「いかの墨」なんかです。 そこで焼き魚を食べたり炊込み御飯を食べたり、らしいものを食べてます。 お勧めは、やっぱり「のど黒」ですね。 高級魚です。 はだいたいどの店にもあるんじゃないですかね。 ちょっと贅沢ですけど、試合に勝ったりしたら、のど黒の焼き魚はいつも注文します。 おいしいですよ。 関東にはなかなかないんですけど。 こっちには大体あります。 あとは元々ご飯がおいしいから、炊込み御飯がおいしいんですよ。 ご飯はおいしいというか、食べ慣れちゃって、もう麻痺してるくらい。 当たり前ぐらいな感じって、贅沢してる感じですかね。 に来たらやっぱり白いご飯ですよ。 子どもたちはお刺身とご飯という組み合わせが大好きですね。 子どもたちは枝豆も大好きです。 の枝豆、おいしいですよ。 それから「のっぺ」というの料理もおいしいです。 里芋でとろみがついている冷たい煮物で、にんじん、さやえんどう、こんにゃく、やちくわだったり、そういうのが入ってるんです。 妻は料理が好きなんで、お店で食べておいしかったら「ちょっとマネしてみようかな」って作ってくれたりしますね。 って本当においしいものがたくさんありますから、来たらいろいろ食べてみてくださいね。 田中達也 プロフィール 2001年、帝京高校からレッズへ入団。 1年目から出場機会を掴み、2年目からはオフト監督のもと主力に成長。 2004年にはアテネ五輪代表、2005年からは日本代表にも招集された。 2013年からはアルビレックスへ移籍している。 1982年生まれ、県出身 取材・文:森雅史(もり・まさふみ) 佐賀県有生まれ、大学附設高校、上智大学出身。 多くのサッカー誌編集に関わり、2009年本格的に独立。 日本代表の取材で海外に毎年飛んでおり、2011年にはフリーランスのジャーナリストとしては1人だけ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の日本戦取材を許された。 Jリーグ公認の登録フリーランス記者、日本蹴球合同会社代表。 バックナンバー•

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三人の田中達也が気になって仕方ない・・・。笑

田中 達也 サッカー

名前:田中 達也(たなか たつや)• 誕生日:1981年生まれ• 出身地:熊本県• 居住地:鹿児島県鹿児島市• 職業:ミニチュア写真家、見立て作家 田中さんは元々は鹿児島の制作会社でサラリーマンをされていましたが、2011年から趣味で集めていたミニチュア写真をインスタグラムに毎日投稿するという『MINIATURE CALENDAR』を始めました。 あるものを別のものに見立てた、思わずニヤッとしてしまう遊び心に溢れたその作品はまたたく間に注目を集め、2013年には初の写真集『MINIATURE LIFE』を出版されました。 一個人が書籍を出版するというのは本当にすごいことだと思いますが、私が思う田中達也さんのなにより素晴らしいところは、2011年から毎日欠かさず素敵なミニチュア写真を投稿されているその継続力と姿勢ですね。 たとえ「毎日3行だけの日記を書く」という簡単なことでさえ、毎日継続できる人は稀です。 誰もが「おもしろい」「素敵」と感じる珠玉のミニチュア写真を、既に8年近く毎日投稿し続けている田中さんには良い意味でバケモノじみていると思いますね。 田中さんは仕事を受ける上で「自分自身がその仕事を楽しめるか」に気をつけていると言います。 仕事を受ける上で「楽しむ」ということを忘れない田中さんだからこそ、ここまで魅力的な作品を継続的に世に排出できるのだと思いますね。 田中さんは既に結婚されており、奥様と息子さん二人と暮らしているそうですが、子供が乗れる電車やダンボールの迷路などをささっと作り上げてしまうそう。 奥さん曰く「子供と遊ぶのが天才的に上手な人」とのこと。 田中達也さん自身もミニチュア写真に負けず劣らずユニークで魅力的ですよね。 スポンサーリンク 田中達也さんのミニチュア写真作品をご紹介 記事の冒頭でも田中達也さんの作品の一つである「スペースパンベーダー」をご紹介しましたが、私の個人的なお気に入り(多すぎて紹介しきれませんが)をいくつかご紹介したいと思います。 田舎ブラシ 引用: 最後は田中達也さんが初めてミニチュア写真を投稿された2011年4月20日の作品をご紹介します。 動物たちが氷のようなカレンダーのコマを持ち寄っているかわいらしい写真です。 偶然私の誕生日も4月20日だったというのもあって、嬉しくて紹介させていただきました。 笑 スポンサーリンク 田中達也さんのSNSや作品情報まとめ 最後に田中達也さんの運営するサイトやSNS情報をまとめておきますので、気になった方は色々のぞいみてください。 引用: 以上、1月13日放送の『情熱大陸』に出演されるミニチュア写真家・田中達也さんについてまとめました。 Instagramを見られた方はわかると思いますが、どれもこれもセンスフルな写真ばかりで、しかも8年近く毎日投稿されているものですからその数は膨大で、その気になれば一日中ずっと田中さんの写真を眺めていられるほどです。 今はインターネットやSNSが世界的に普及し、その気になれば会社に雇われなくとも「個人」が活躍して食べていける時代ですが、インスタグラムから注目されて家族を養えるほど稼げるようになった田中達也さんもまさに時代の寵児の一人ですよね。 1月13日の放送がとても楽しみです。 ここまでお読みいただきありがとうございました! スポンサーリンク.

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三人の田中達也が気になって仕方ない・・・。笑

田中 達也 サッカー

元日本代表の田中達也は2013年から新潟に在籍し、今季は17試合に出場して1得点を記録。 また、サムエル・サントスとパウロンはともに今季から加入したが、主力としての活躍とはならなかった。 なお、クラブはすでにFW矢野貴章、MFチョ・ヨンチョル、MF小川佳純、GK野澤洋輔の4人との契約満了を発表しており、大幅なチームの刷新を行っている。 クラブを通じて発表された3選手のコメントは以下の通り。 そして、毎試合、スタジアムをオレンジ色に染め、熱い声援を送ってくれたサポーターは、自分のかけがえのない財産になりました。 支えてくださった皆さんに、最終節の前にこのことをお伝えすべきたったかもしれません。 しかし、自分としては、最後までチームメイトとフラットな関係を保ちたかったという思いがあり、発表をこのタイミングにさせていただきました。 これからも、自分の体が動く限り、プレーを続けるつもりです。 みなさんと、どこかのピッチでお会いできることを楽しみに、努力を続けます。 7年間の熱い応援に、感謝しています。 残念ながらアルビレックス新潟の選手として、幕を閉じることになってしまいました。 サポーターの皆様の声援に応えるため、グラウンドでは常に全力で取り組んできました。 その中で、J1昇格という目標を達成できなかったことを本当に申し訳なく思っています。 またいつか、戻ってきて、アルビレックス新潟のユニホームを着られることを願っています。 1年間本当にありがとうございました。 来年こそ、アルビレックスがJ1に戻ることを願っています。 1年間ありがとうございました!」.

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