だから僕は音楽をやめた 歌詞。 私的2019年アルバムトップ10

ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」で“僕”は音楽を2度辞めている

だから僕は音楽をやめた 歌詞

2019年4月5日発売、ヨルシカで 「だから僕は音楽をやめた」。 壮大な映画の最終回のような物語性のある一曲です。 音楽をやめた主人公の、最後の叫び。 希望と絶望。 人によって様々な解釈があって当然だろうと思います! 間違ってるんだよ わかってるんだ あんたら人間も 本当も愛も救いも優しさも人生もどうでもいいんだ 正しい答えが言えないのだって防衛本能だ どうでもいいや あんたのせいだ 僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ 何度でも君を書いた 売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna 曲を解説するにあたり、先に終盤の歌詞を切り取っておきます。 この曲は、 主人公の過去の信念と、現在の冷め切った心情の葛藤の歌に他なりません。 「昔の自分」というのは、 売れることなんて微塵も気にせず、ただ「本当」や「愛」や「世界」のことを歌っていた自分。 「君」はそうした「本当」や「愛」を描く上で、その象徴として扱われています。 そして 「今の自分」は、当然その逆。 売れることこそが全てで「本当」とか「愛」とか「世界」とか「音楽」とかもうどうでもいい。 この世界の目に見えないものに対する絶対的な失望感。 そして前提として、 「君」という人物とは離れ離れの状態です。 詳しくは後述しますが、これを踏まえたうえで物語は進行していきます。 「だから僕は音楽をやめた」。 MVから察するに、彼は音楽をやめると同時に、人生すらも幕を閉じてしまいました。 当然その背景には、音楽、および人生をやめなければならなくなった明確な理由があるはずです。 理由を読み解くために、1番の歌詞からゆっくり見ていきます。 考えたってわからないし 青空の下、君を待った 風が吹いた正午、昼下がりを抜け出す想像 ねぇ、これからどうなるんだろうね 進め方教わらないんだよ 君の目を見た 何も言えず僕は歩いた ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna 愛とかこれからのことを考えたって仕方がない。 答えを知りたい僕は君を待った。 「考えたってわからない」。 これは勿論、先述の歌詞で登場した「本当」や「愛」、「世界」「苦しさ」「人生」を指しています。 世の中の様々な人が必死に考えるそうした答えのない概念。 そんなもの考えたってわからない。 「君の目を見た 何も言えず僕は歩いた」 君の目を見たときに、何も言えない状況とはどんな状況でしょうか。 その人物とまっすぐ向かい合えないとき、つまり後ろめたい気持ちがある時。 主人公は「君」という人物の想いとは相反する言動を、この詩を書いている時点ではとっているようです。 また、主人公は考えたってわからないから「君」を待っています。 よってここで、 「君」という人物がその答えを教えてくれる存在であることが伺えます。 「愛」や「世界」や「人生」の答えが「君」という存在であると。 考えたってわからないし 青春なんてつまらないし 辞めた筈のピアノ、机を弾く癖が抜けない ねぇ、将来何してるだろうね 音楽はしてないといいね 困らないでよ ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna 続きの歌詞。 先ほど同様、愛とか人生とかの答えを考えたってもう仕方がないし、青春だってつまらない。 完全に冷め切ってしまった主人公の心情が読み取れます。 「ねぇ、将来何してるだろうね」以降も恨み節。 さも他人事のように音楽を諦めています。 心の中に一つ線を引いても どうしても消えなかった 今更なんだから なぁ、もう思い出すな ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna どうしても消えないものは「音楽」という存在であり、「本当」や「愛」を追い求めてしまう心。 そして自分に必死に言い聞かせる。 「もう思い出すな」。 考えたってわからないからです。 無理やり音楽を忘れようとする主人公。 音楽をやめなければならない理由があることがうかがえます。 そしていよいよサビへ。 間違ってるんだよ わかってないよ、あんたら人間も 本当も愛も世界も苦しさも人生もどうでもいいよ 正しいかどうか知りたいのだって防衛本能だ 考えたんだ あんたのせいだ ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna 攻撃的な歌詞が印象的。 ここで特筆すべきは、 「あんたら人間も」 と書かれているところ。 当然「自分も」間違っているというわけです。 人間は不安な心を鎮めるために、愛とか人生の正解を探そうとする。 でもそんなのは自分を守るためにやってるだけで、実際は どうでもいいことなんだ。 強い口調で、現在の主人公の価値観を主張しているわけです。 「考えたんだ あんたのせいだ」。 「あんた」は紛れもなく「君」のことです。 愛とか正義とかの象徴だった「君」がいなくなってから、主人公はその抽象的な概念について改めて考えさせられた。 そしてわかったのが、 「考えたって仕方がない」ということだったようです。 続けます! 考えたってわからないが、本当に年老いたくないんだ いつか死んだらって思うだけで胸が空っぽになるんだ 将来何してるだろうって 大人になったらわかったよ 何もしてないさ ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna 2番は、ひたすら2番のサビに向けた心境吐露。 追い求めたって答えはないし、将来に期待したって何か変わるわけでもない。 でも死にたくはない。 どこにも逃げ場のない、生きる苦しさが歌われます。 幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ 満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感 ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna 2番のサビにつながる大切なパート。 ここでの「幸せな顔した人」は昔の、「君」が存在した頃の自分に重なる部分があります。 「愛」とか「人生」とか、そんな取り留めのないもの追い求める人物。 今の主人公は、それが無意味で間違いであるという事実に気づいてしまっています。 なのに、 それに気づかず呑気に「愛」とかを追い求めている人のほうが自分より幸せそうにしている。 主人公にとって受け入れがたい状況です。 処理しきれない苦しさを背負わされている。 これを踏まえて、2番のサビに入ります。 間違ってないよ なぁ、何だかんだあんたら人間だ 愛も救いも優しさも根拠がないなんて気味が悪いよ ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ どうでもいいか あんたのせいだ ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna これが主人公の本音なのだろうと思います。 「愛も救いも優しさも根拠がないなんて気味が悪い」。 根拠はないけど、そうしたものに全く依存せずに暮らすことはどうしようもなく不安なことです。 今の主人公がそうであるように。 だから、 ありもしないそれらを追い求めて安心しようとするのは防衛本能なんだ。 愛とかを追い求めるなんて間違っている。 そう気が付いてしまった主人公ですが、やはり捨てきれない人間としての希望は抱えているようです。 でも、 「どうでもいいか あんたのせいだ」。 間違いではないかもしれないけど、結局今の主人公にはそんなことはどうでもいい。 ここからは、主人公の達観した諦めの境地が語られることとなります。 考えたってわからないし 生きてるだけでも苦しいし 音楽とか儲からないし 歌詞とか適当でもいいよ どうでもいいんだ 間違ってないだろ 間違ってないよな ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna 当然、昔は全く逆の考え方をしていました。 でも、「君」という存在が消えた今、 そんなものはどうでもいい。 だって、「愛」を追い求めたって結局答えにはたどり着けないから。 ここでの「間違ってないよな」の歌い方が非常に印象的。 今にもかき消されそうな、今にも泣きだしそうな、必死に自分に言い聞かせているような、そんな声で歌われています。 つまり、 まだ主人公は、音楽を諦めたくはないんです。 「歌詞とか適当でもいい」だなんて思いたくはないし、希望を追い求めることだって間違ってなんかいない。 でも、どれだけ考えたってなにも解決しなかった。 だから、 必死にそれを諦めようとしているんです。 間違ってるんだよ わかってるんだ あんたら人間も 本当も愛も救いも優しさも人生もどうでもいいんだ 正しい答えが言えないのだって防衛本能だ どうでもいいや あんたのせいだ ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna ここでも一番同様、「あんたら人間」も「過去の自分」も間違っていると歌います。 これまでのどの歌詞よりも力を込めて。 そして 「正しい答えが言えないのだって防衛本能だ」という歌詞が心を抉ります。 「わからない」ではなく、「言えない」。 愛や優しさの答えなんて本当はとうにわかっているはずなんです。 ここでの 「正しい答え」は、主人公が気が付いてしまった 「そんなもの実際には存在しない」、あるいは 「そこに希望などない」といった、受け入れたくない現実ではないでしょうか。 それを受け入れてしまえば、主人公同様苦しい人生を送らないといけない。 だから誰も正しい答えなんて言えやしないんです。 主人公は「君」がいたころ、そんな現実を考える必要なんてなかった。 「君」が希望であり、愛であり、人生だったからです。 答えは君が教えてくれた。 でも君はもういなくなってしまった。 いくら必死に、その全てを信じて「君」を描き続けたって、見えないものを追い続けたって、次第に「君」を忘れていってしまった。 「君」がいない今、「愛」も「正しさ」も「優しさ」も根拠なんてない虚像だったのだと気が付いてしまった。 「あんたのせい」で。 これが主人公が「音楽」という希望から逃げ出してしまった理由でしょう。 気づいてしまったんです。 気づいてはいけない現実に。 僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ 何度でも君を書いた 売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった ヨルシカ 「だから僕は音楽をやめた」 作詞 n-buna 昔はただ、何度でも「君」を書いていたんです。 「君」が僕の全てであり、希望であり、音楽そのものであったからです。 昔はそうだった。 でも今は違う。 もう「君」のことを忘れつつある。 その存在を見失いつつある。 「君」も「本当」も「愛」も追い求めたってたどり着けやしない、という事実に気づいてしまったし、もう歌詞なんてどうでもいいし、だったらいっそ売れることの方が大切なんじゃないかと思えてしまった。 考えたってもうわからないから。 「君」と楽しんでいた音楽とか、昔の信念なんてものは塵のように思えてしまった。 もう全部がどうだっていい。 だから僕は音楽を辞めた 他の楽曲との繋がり ここまでの解説で、「君を失った」とか「君を忘れてしまった」とか歌詞にないことを書いてきたわけですがそれにもちゃんと理由があります。 この曲は一連のストーリーのあるコンセプトアルバム「僕は音楽をやめた」の最終盤にあたるのです。 ここではその考え方に則って、既にMVが公開されている 「藍二乗」「パレード」との関係性を改めて考察しておきたいと思います。 藍二乗 ここでは、「人生は妥協の連続なんだ」と言いつつも、 ただまっすぐに「君」を描き続ける主人公の姿が描かれています。 「君」の名は「エルマ」。 「君だけが僕の音楽なんだ」。 主人公にとっての音楽そのものが「エルマ」です。 人生は妥協の連続だ。 そんなことわかりきっていたって、「エルマ」だけは主人公の光だった。 かつて描いた夢がいつか時効になってしまうことを感じつつも、まだ希望を捨ててはいない。 「君」だけを描き続ける人生に美しさを見出している。 昔の主人公の信念が見える一曲です。 「春の空に花泳ぐ」と「桜」を暗示しておくことで、後にこの主人公の思いが散っていってしまうことを実は示していたのかな…なんて思ったり。 パレード ここでは、 なんとか「君」を、「君のいない今の温度」を忘れまいと歌う主人公の姿が描かれています。 「君の指先には多分神様が住んでいる」「君の書く詩を ただ真似るだけの日々を」。 昔歌詞を書いていたのは「エルマ」でした。 だけどもう「エルマ」はいない。 もう少しだけでもいいから、「君」を忘れないでいられるように。 なんとか君の描いた「愛」や「本当」を歌おうと、その存在を確かめようと、君がいるはずの「心」で君の書く歌詞を真似て、だけど「君」のいない 「一人ぼっちのパレードを」。 だけど、それでも、主人公は「君」を忘れてしまった。 その存在はもういなくなり、いくら追い求めたって辿り着けない答えを知ってしまった。 「君だけが僕の音楽なんだ」。 でも「君」はもういない。 僕の心にも「君」はもういない。 だから僕は音楽をやめた 「最後の希望」か「遺恨」か ある音楽紹介サイトでこのような見出しを見かけました。 この曲は果たして「光」なのか「絶望」なのか。 ものすごく興味深いテーマです。 主人公は確かに「音楽をやめた」。 いや、やめるために、この曲を世界に残しました。 もちろん最後のサビで読み取れるように、愛なんか幻想だって叫んではいます。 しかしそれはあくまで意思表示であって、 2番の歌詞はそうではない。 しかも主人公は「音楽をやめる」という選択をとった。 これからは今の信念を、「絶望」を歌にしてもいいはずなのに、「音楽」というものから身を置いた。 主人公は「音楽」という世界を「君」がいたころのまま、希望にあふれた状態のまま残したんです。 ある意味で彼は、 「音楽」という世界に最後の望みを託したのではないか…そう思えてなりません。 再び同じ題材で夏にも新曲が発売されるようなので、そちらを待ちたいと思います! 追記 アルバム「エルマ」が発売されました。 改めて「だから僕は音楽をやめた」についてもこちらの記事で考察しておりますので是非ご覧ください…! ご購入はこちらから.

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だから僕は音楽を辞めた 歌詞「ヨルシカ」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

だから僕は音楽をやめた 歌詞

ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」の意味を考察してみた 曲全体の解釈 まず前提として、この楽曲は 少年エイミーと少女エルマの歌です。 アルバムの他の曲にも度々登場するこの二人の曲なんですね。 そしてこの曲で一番印象的な「あんたのせいだ」のあんたとは少女エルマのことを言っています。 しかし少年エイミーは 本当は自分のせいだってことは分かってるんです。 ラスサビへの流れでついにエイミーは「間違ってることは分かってる」と認めます。 音楽とか儲からないし 歌詞とか適当でもいいよ どうでもいいんだ 間違ってないだろ 間違ってないよな・・・ 間違ってるんだよ わかってるんだ ~ (ラストサビ) ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より でも「自己防衛(防衛本能)」のために自分以外の何かのせいにしなくては生きていられなかった。 昔は「売れることこそがどうでもいい」「何度でも君(エルマ)のことを書こう」という信念があった。 でもそれは昔のことで、成長するにつれてその信念は変わってしまった、「売れたいのに売れない劣等感」。 人間たちは自分を認めてくれない・・・。 ヨルシカ楽曲「」のMVより だから、音楽なんて儲からない、人間たちが幸せそうにしている「愛や世界や人生」なんてどうでもいいものだろ? 自分には手に入らない満たされないものを自分から否定することを自分を守っていた。 「あんた(エルマ)のせいだ」と何度も言うことだってそうです。 自分を守るためにはそう自分を正当化するしかなかった。 でも「そんな風に感じている自分こそが間違っていることは分かっていたんだ」と最後には認めます。 だけど認めてしまったことでエイミーは「自己防衛」できなくなってしまいます。 信念を失ってしまったことを認めたエイミーは、音楽を辞め、この世を去ります。 (この楽曲のアンサーソングとも言える「ノーチラス」にてエイミーはこの後、毒を呷って入水自殺したことが描かれています) 歌詞の意味の解釈 それでは歌詞の意味について考察していきます。 この曲は PVの描写も歌詞の重要な心情を補完してくれています。 合わせて見ていきます。 考えたってわからないし 青空の下、君を待った 風が吹いた正午、昼下がりを抜け出す想像 ねぇ、これからどうなるんだろうね 進め方教わらないんだよ 君の目を見た 何も言えず僕は歩いた 考えたってわからないし 青春なんてつまらないし 辞めた筈のピアノ、机を弾く癖が抜けない ねぇ、将来何してるだろうね 音楽はしてないといいね 困らないでよ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より この歌詞は、まだ自分の中で信念が消え去ってはいなかった頃の描写。 PVでもエイミーの後ろにはちゃんとエルマがいて、エイミーは何度も彼女の方を振り返ります。 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 空を飛ぶ鳥や青い空が印象的です。 将来について漠然な不安を感じてはいるけれど、まだ空白の将来にちょっとだけ淡い期待も残っている。 そんなエイミーの心情。 心の中に一つ線を引いても どうしても消えなかった 今更なんだから なぁ、もう思い出すな ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より しかし音楽に対して心の中で距離をとり始めていたエイミー。 (距離をとったことも自分を守るための防衛本能だったのかも) でも一度距離をとっても消えてくれなかった、思い出すんじゃないと自分に言い聞かせる。 間違ってるんだよ わかってないよ、あんたら人間も 本当も愛も世界も苦しさも人生もどうでもいいよ 正しいかどうか知りたいのだって防衛本能だ 考えたんだ あんたのせいだ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より この時点の間違ってるんだよは自分以外の人間に対して言っている。 そしてこの曲の歌詞でたびたび登場する「人間」とは何か。 印象的ですよね。 他のヨルシカ楽曲を見ても「人間」という単語は何度も登場するんですが、エイミーの世界には「自分」「エルマ」「人間」の3種類しかいないんです。 だから 自分とエルマ以外は全部「人間」というひとくくりの存在なんだと解釈してます。 そしてあんたら人間は間違っている、分かってないと叫んでいる。 人間たちが大切にする「本当のこと、愛、世界、苦しさ、人生」全てがどうでもいいものだと。 そしてそう考えている自分こそが正しいはずだ。 そう思いたいのは防衛本能だ。 僕は間違ってない。 あんた(エルマ)のせいだ。 そして1番サビ終わりには空を星が周る描写が挟まれます。 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より これは「星が早回しで周る」つまり1番と2番の間で時が経ったことを示しているんじゃないでしょうか。 そして2番へと入っていきます。 考えたってわからないが、本当に年老いたくないんだ いつか死んだらって思うだけで胸が空っぽになるんだ 将来何してるだろうって 大人になったらわかったよ 何もしてないさ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より エイミーは大人になった。 そして将来について抱いていた淡い期待すらも崩れ去ってしまった。 自分は何も成していない・・・。 幸せな顔した人が憎いのはどう割り切ったらいいんだ 満たされない頭の奥の化け物みたいな劣等感 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 幸せな人たちを憎みたくないのに憎いと思ってしまう。 そしてこの頃にはもう彼の音楽の信念は崩れはじめていました。 「売れたいのに売れない 化け物みたいな劣等感」をどうしても満たすことができない。 間違ってないよ なぁ、何だかんだあんたら人間だ 愛も救いも優しさも根拠がないなんて気味が悪いよ ラブソングなんかが痛いのだって防衛本能だ どうでもいいか あんたのせいだ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 「愛や救いや優しさ」そういった自分にないものを、「気味が悪い」と否定することで自分の中の虚しさを見ないようにしてる。 本当は自分も「愛や救いや優しさ」で満たされたいのに、手に入らないから。 だから幸せなラブソングを聞いて心が痛くなるのだって、自分の心を守るための防衛本能なんだ。 僕は間違ってない。 あんた(エルマ)のせいだ。 2番サビの終わりで彼が放った紙飛行機は空を飛びながらも徐々に落ちていき、暗い海に入っていきます。 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より この紙飛行機はエイミーが繰り返し歌詞を描いていたノートのページを折ったもの。 つまり「エイミーの音楽」そのものを表しているのでは。 それがついに暗いところまで落ちてしまった。 暗い海の底を歩きながらCメロが始まります。 考えたってわからないし 生きてるだけでも苦しいし 音楽とか儲からないし 歌詞とか適当でもいいよ どうでもいいんだ 間違ってないだろ 間違ってないよな・・・ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 音楽なんて儲からない、歌詞なんて適当でいいでしょ? エイミーは終始自分に手に入らないものを自分から否定することで自分の心を守ってる。 何もかもどうでもいい・・・そう思う僕は間違ってない。 間違ってないよな・・・? 心の隅に常にあった自分こそが間違っているという思いを、エイミーはついに無視できなくなっていきます。 そして印象的なピアノの転調が入るシーン。 ハッと何かに気がついた様子のエイミーは振り返り、 エルマがいなくなっていることに気づきます。 ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より 彼の音楽の信念「何度でも君(エルマ)を書く」ということすらも失ってしまったことに気づいた瞬間。 今まで彼の後ろについていた少女は、 彼の音楽の信念の象徴だったですね。 間違ってるんだよ わかってるんだ あんたら人間も 本当も愛も救いも優しさも人生もどうでもいいんだ 正しい答えが言えないのだって防衛本能だ どうでもいいや あんたのせいだ ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より ついに僕こそが間違ってる。 本当はそんなこと分かってたと認めてしまいます。 自分が間違ってるって、そう正しい答えが言えなかったのだって、それは自分の心を守るための防衛本能だったんだ。 だって認めてしまったら僕は生きていけなくなってしまうから。 でももうそんなことすらどうでもいい・・・。 あんた(エルマ)のせいだと言ってしまおう。 僕だって信念があった 今じゃ塵みたいな想いだ 何度でも君を書いた 売れることこそがどうでもよかったんだ 本当だ 本当なんだ 昔はそうだった だから僕は音楽を辞めた ヨルシカ楽曲「だから僕は音楽を辞めた」より でも今こんなになってしまった僕でもかつては信念があったんだという独白。 エルマにだけはそれを分かっていて欲しい。 本当だったんだ、昔はそうだったんだ。 だから僕は、音楽を、辞めた。 まとめ ヨルシカさんの楽曲「だから僕は音楽を辞めた」の解釈の考察でした。 色々な解釈があると思いますが、私が自分なりに納得できた解釈をまとめてみました。 ヨルシカさんの楽曲はPVがちゃんと曲にリンクしていて凝っているので、PVと歌詞をリンクさせていくとより感情移入できる気がしています。 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!.

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【ヨルシカ/だから僕は音楽を辞めた】歌詞の意味を徹底解釈して考察!他楽曲との繋がりに注目!

だから僕は音楽をやめた 歌詞

さて、栄光の第一位だ。 このアルバムはの「サージェントペパーズロンリーハーツクラブバンド」やの「トミー」からはじまるすべてのコンセプトアルバムの頂点に君臨する作品だ。 これを超えるコンセプトアルバムはもう出てこない。 もし作れるとしたら世界でもそれはヨルシカのみだ。 このアルバムは「だから僕は音楽をやめた」と「エルマ」が一続きの物語として成立している。 そして初回限定盤には手紙と手帳という、二人の主人公が書き記した日記が封入されていて、そこで物語が展開される。 「だから僕は音楽をやめた」はエイミーという青年が音楽を志して都会へ行ったものの、成功できず、音楽をやめる決意をし、友人であるエルマに手紙を書く。 そして、「エルマ」はエイミーからもらった手紙を読んだエルマがエイミーに影響され、作った音楽、というように明確なストーリーがそこに存在する。 エイミーとエルマの存在感は絶大だ。 歌詞がセンシティブに彼らの苦悩を描き出す。 そしてそれらは現代の私たちの傷跡をぴたりと言い当てたもので、虚無感に支配され、それでも自分の目指したいものを貫きたい、しかし、それがどうしてもできない、そんな苦悩に満ちた歌詞だ。 僕は今回のレビューにあたって、エイミーとエルマの関係性について記したいと思う。 エイミーとエルマは同郷で、ある日エルマが偶然入った喫で必死に歌詞を書くエイミーと出会い、一緒に音楽を始める。 しかし、エイミーはエルマの才能に嫉妬してしまう。 自分より遅く始めたのに、自分よりもうまい。 そのことに絶望し、彼はエルマのもとを離れ、しばらく音楽活動に専念するが、結局、音楽をやめてしまう。 「だから僕は音楽をやめた」では、音楽をあきらめたことをすべてエルマのせいにしてしまう。 君が現れなければ音楽を続けられたのに、君の音楽がなければまだ歌えたのに、そんな心情が見て取れる。 このアルバムは実は時系列が逆で最後に「だから僕は音楽をやめた」が入っているのだが、インストの日付を見ると、二曲目の「藍二乗」が最後の曲だとわかる。 音楽をやめた後、エイミーはバイトをしながら詩を書いたり小説を書くが、いつも書くのはエルマのことだ。 それだけ彼にとってエルマは大切で、そして憎むべき対象だった。 エルマのことしか書く気がしなかった。 そして、最後、「藍二乗」で彼はこう言う。 続きはエルマが記している。 エイミーの実家にある日突然、木箱が届く。 エイミーがいなくなってしばらくたった後だった。 そこには膨大な手紙と写真が収められていた。 (これは「だから僕は音楽をやめた」の初回限定版で再現されている。 届いたのが木箱の形をした大きな箱で、中を開くと手紙がいっぱい詰まっていて、本当にエルマの気持ちになれた)。 彼は「藍二乗」のあと、昔住んでいた北欧の町をめぐる旅に出ていた。 そしてエルマはそこに彼がいるかもしれないと、写真の場所を巡る旅に出る。 しかし、エルマはエイミーが突然去ってしまったこと、そして、音楽をやめたことを自分のせいにされたことにとても傷つき、怒ってもいた。 やり場のない怒りの感情は「神様のダンス」によく表れているし、「心に穴が空いた」とも歌っている。 エルマはその旅の模様を日記に記す。 エイミーはエルマにとって神様のような人だった。 自分に音楽を教えてくれた人。 自分を変えてくれた人。 だけど、その人はもういない。 その人の影だけをこうして旅して追っている。 エルマは自分はエイミーを模倣したに過ぎないと歌う。 それはエイミーになりたかったから。 だから、自分の歌はエイミーの歌にはかなわないし、私の歌は偽物に過ぎないのだから、もう一度会って、説得したい。 そんな気持ちもあったのだろう。 エイミーとエルマの関係性。 これが実に美しい。 そこには羨望も嫉妬も憎悪も友情も愛情も慈しみも愛おしさも尊敬も崇拝も存在している。 とても一言では言いあらわせない。 そして、エルマは「心に穴が空いた」でこう歌う。 そしてその筆致のなんたる鋭いことか。 もはやこれは小説でしかない。 そしてそこに音楽が入ってくるのだから、これはもはやオペラに近い。 が目指した。 それがここ極東の地で最高の形で結実した。 これよりすばらしいコンセプトアルバムはもう、ヨルシカにしか作れない。 今後、こういったストーリー性の強いコンセプトアルバムが増えるだろう。 思えばカゲロウプロジェクトもその一つだった。 しかし、ここまで芸術的な完成度と音楽的な完成度と商業的な成功を成し遂げたものは今まで一切存在しなかった。 今後、このアルバムは一種のとなるだろう。 ここからBUMPのようなシングルをどんどんリリースしていくシングルコレクション派とやヨルシカのようなコンセプトアルバム派が分裂し、アルバムは二極化していく。 そして、もちろん、この作品も模倣品も増えるだろう。 しかし、それは模倣でしかない。 本物はヨルシカにしかつくれない。 真似をしようとしている時点で原典を超えようなどとは思うな。 ストリーミング世代はアルバムという感覚が薄い。 みんなプレイリストで聴くからだ。 自分でプレイリストを作る時点でアルバムは価値をなくしてしまう。 それを知ったうえで、アルバムを一つの作品として昇華させる行為、それは原点に還るということだ。 もう一度LPの時代へ。 しかし、この作品は広く若い世代に波及した。 それはこの作品のパワーがそうさせたのだろうし、ストーリーがあるにもかかわらずメロディとして完成されたものを作るという、コンポーザーのn-bunaさんの腐心によるものだ。 そう、まだアルバムは死なない。 これからもアルバムは一人のアーティストにとって大きな意味を持ち続けるだろう。 1年や2年、必死にスタジオにこもって作ったものなのだ。 そしてそのアルバムを評価する姿勢にこそ、音楽への誠意が表れるというものだろう。 このアーティストはこのアルバムを通してなにを伝えたいのか。 いつも聞き流している曲を、作業の手を止めて真剣に聴いてみてほしい。 きっと大きな発見があるはずだ。 もう一度、アルバムをデッキに入れる時のワクワク感を思い出させてくれたヨルシカに僕は感謝を伝えたい。 こんな素晴らしい作品をつくってくれてありがとう。 確かに受け取った。 これからもアルバムは価値あるもので、音楽は聞き流すものではなく、生活に密着した、確かな重みをもったものであり続けるだろう。 そう思えたことがただただうれしい。 がワクワクする。

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